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An Interview with UMAHANA   by 近藤純夫
近藤(以下K): このたびは出版おめでとうございます。

UMAHANA(以下U): ありがとうございます。

K: 日本初の生花を使ったレイ・メイキングの本の誕生ですね。

U: 嬉しくもあり、ちょっと不安でもありです。まだ自分は突き詰めていないんじゃないか、生半可な知識で出すのは周囲にも失礼だよな、という気持ちが少し残っているんです。

K: 本と一緒に成長するというのもありですよ。ところで、UMAHANAさんが初めてレイに接したのはいつごろなんですか?

U: 逗子にあるリリコイ・カフェというところへ行ったときです。フラをやっている方や雑誌の仕事をしている方などがスタッフで、ハワイ文化についていろいろ教えてもらいました。

K: リリコイ・カフェはカワラ版でも紹介させていただいたんですよ。

U: そうでしたね。

K: ここでレイを作ろうと思い立ったんですか?

U: それまではフラワーアレンジメントをやっていたんですけど、僕が持って行った花のひとつを、彼女たちが摘んで耳にかけたりするのを見て、花がすごく生活に溶けこんでいるなと思ったんです。それが興味の湧いたきっかけかな?

K: それまでハワイへ行ったことは?

U: 19歳のときに初めて1人でワイキキ観光へ行きました。どこへ行くかもあまり考えていなくて、とりあえず行ってみようと思ったんです。その後、何度も足を運ぶようになりました。

K: ハワイが好きだったんですね。

U: ワイキキだけだったのにね。ハワイ通になった気でいました。

花のある暮らし

K: UMAHANAさんの花との出会いは?

U: 小さな頃は引っ込み思案で、家で模型なんかを作っているのが好きでした。手先は器用だったんです。花にも関心はありました。

K: ご出身は?

U: 生まれは横須賀です。高校生のころからずっと近所のガソリンスタンドでアルバイトをしていました。22歳のころ、お客さんに花をプレゼントするという企画を立てたんです。

K: 花への興味を持ちつづけていたんですね?

U: そうかもしれません。その頃、実家を出て近くに家を借りたんですが、庭に花を植えたりしました。その方がかっこいいライフスタイルに思えたんです。

K: どんな花壇を作ったんですか?

U: その頃はハーブが流行っていたのでそれを真似てみたんですが、ちょっと目を離している間にすごいことになってしまいました。(笑)

K: ぼくも似たような失敗をしたことが…。(笑)

U: 植物は好きだったので、花壇以外に切り花も買ったりしました。あるとき友人が、こんなのがあるよと言って、男性のフラワー・デザイナーを特集した雑誌を持ってきてくれたんです。そのころからかな? 自分でも花を仕事にしてみたくなったんです。

K: どこかに勤めるということではなく、自分で?

U: 昔の横須賀にはおしゃれな花屋がなかったんです。この花屋は安くしてくれるし、おまけもくれるけどラッピングが冴えないとかね。(笑) だったら自分でやろうと…。

花を仕事にする

K: ガソリン・スタンドから花屋とはずいぶん大きな違いですね。

U: 花にかかわりたいという気持ちが日増しに強くなっていったんです。それである日とつぜん、「仕事を辞めさせてください」と言ってしまいました。でも、花屋にはなりたかったけど、コネなんて全然なかったんです。少し考えようと、ハワイまで行きました。でも、帰国してぼんやりとしていたらあっという間に蓄えがなくなってしまいました。

K: 現実は厳しかったんですね。

U: ガソリンスタンドのアルバイトに戻るつもりはありませんでしたけど、いろいろなアルバイトをしました。そのころですかね。たまたま以前に親しくしていた花屋の前を通りかかったんです。事情を話したら働くかと言ってくれました。

K: どちらにある店だったんですか?

U: それも横須賀。三浦半島から出るのが恐いというのもあったかな。(笑) でも数ヶ月で辞めちゃいました。

K: 念願がかなったのに?

U: 最初はようやく花屋になれて嬉しさいっぱいでしたが、その店は自分がイメージしていた花屋とは違っていたんです。ぼくがこんな花を売りたいというと、そんなものは売れないと言うし、もっと花を学ぼうと思って店の花を買おうとすると、買わなくていいと言う。

K: 妙な動きはするなと…。

U: そうそう。(笑) ガソリンスタンドのアルバイトで経営の基本みたいなものを学んでいましたから、その店の家族経営的なシステムを改善したいということもあって、つい口を出したんです。そうしたら、もう来なくていいと…。

K: 振り出しに戻ってしまったわけですね。

U: そうです。ぼくはもう一度、花屋に勤めて修行すべきかどうか、ずいぶん迷いました。でも、20代も半ばに達していたので早く成功したいという気持ちがあったんです。

挫折と再起

K: それからは?

U: 都心を含むいろいろな店を見て回りましたが、どこで修行しても3年や4年はすぐに経ってしまいますよね? そうすると30代になってしまいます。だったら、自分で店を作ろうと思い直したんです。

K: でも資金は?

U: 手っ取り早く金を稼ぐことができるということで、高速道路の現場アルバイトを1年くらいやりました。残業もしたので100万ちょっと貯まったかな? もちろん、その間も適当な店を探して回りました。でも、なかなかよい物件は見つからなかった。

K: 資金は足りたんですか?

U: 結果的にはなんとか、かな。いくら探しても、これだという店が見つからなかったんですが、もう鉄骨を運ぶのはいやになったんです。これ以上いると、現場作業に馴染みすぎると思って辞めました。そのときに地元の横須賀で見つけた10万円の店舗と契約を結んだんです。

K: 10万円もの家賃だと資金は半分も残らないのでは?

U: 手元に残ったのは3万円でした。(笑) でも、当時は花屋で働いていた現在の奥さんと付き合っていて、彼女がボーナスをもらったらサポートしてくれることになっていたんです。

K: と言っても、たいへんな状態だというのは変わりませんよね?

U: ええ。手持ち資金があまりに少ないので、知り合いの花屋のおばあさんに相談に行ったら、バケツを5個くれました。必要なのはバケツと水だと言うんです。ぼくはそれがいやでね。かっこいい花屋に憧れていたのに…。ぼくはバケツを持ってとぼとぼと店へ戻りました。

K: その後は?

U: 3万円を握りしめて卸売市場へ行って1万2千円だけ仕入れました。

K: どのくらいの量なんですか?

U: 棚の1段を占める程度かな。ほんのわずかです。それを持ち帰って店の棚に入れたんですが、あまりに少なくて、通行人に「何屋なの?」と聞かれるありさまでした。(笑) 別の人は、店を覗いて「もっと商品を前に出さないとダメだよ」と言ってくれたりもしました。

K: 涙ぐましい努力ですね。(笑) で、初日はどれくらいの売り上げがあったんですか?

U: 3000円です。花屋はふつう2日で回転させるので、次の日に9000円売れなければ赤字ですよね。

K: 自転車操業なんてものじゃないな。(笑)

U: じつは自分の家を借りる金もなかったんです。最初の1年間は車で暮らしました。

K: え、車で?

U: 結婚して所帯を持ってもよかったんですが、ぼくには住所もないのでまだ時期尚早だと思ったんです。深夜まで店を開けてがんばりましたが、あまりうまくはいきませんでした。

K: 翌月の家賃も払えませんよね。

U: ええ。でも、ないならないなりに工夫しなければと思い直し、たとえば鉢物を仕入れました。これだと日持ちしますからね。それから茶色の紙を買ってきてくしゃくしゃにして花を包んだりしてみました。お洒落かなと思ったんです。そうそう、フラワーアレンジメントが掲載されている雑誌を買ってきて、それを店の目立つところに置きました。この店の花は雑誌にも掲載されていると勘違いしてくれることを期待したんです。(笑)

K: その後、お店は?

U: 夜間はフラワーアレンジメント教室を開いて、花を回転させるようにしたこともあって、なんとか持ちこたえきました。

レイを学ぶ

K: 店は長くつづけたんですか?

U: 人に教えはじめると、もっとその先に進みたいという思いが強くなって、店の商品も少しアートっぽいものに変えていったんです。そうしたら客足は次第に…。

K: 遠退いてしまったんですね。

U: でも、その頃にはあちこちで教えはじめてそれなりの収入を得ていたので、思い切って店を閉めることにしたんです。オープンして2年後のことです。

K: その後は?

U: 当時はヨーロッパの有名なアーティストの助手のようなことをしていました。いろいろ手伝っているうちに自分の作品も雑誌に載るようになって、おれもアーティストなんだと少しのぼせていました。家を葉山に借りて、ちょっとした隠居生活のようなことをしていたんですが、自分は孤高のデザイナーを目指すんだという気持ちでいた。でも、結局は彼のネームバリューで仕事をもらっていただけだったんです。それに気づきはじめたとき、もっと気楽に花に接してもらう場を提供した方がよいかなと思うようになっていきました。そのなかでレイと出会ったんです。

K: いつ頃のことですか?

U: いまから5年ほど前のことです。

K: レイはどのようにして学んだんですか?

U: 最初は洋書を取り寄せました。フラワーアレンジメントはそれなりのレベルにありましたが、レイについては作り方さえ知らないので、基礎を学ぼうと思ったんです。

K: 本で修得しようと…。

U: 甘いですよね。見りゃあわかるだろうという軽い気持ちで取りかかったんです。本を読んでみたらどうもそれだけじゃないことがわかってきました。ハワイやフラに関わる周囲の女性たちにそのことを言ったら、それはそうだと叱られました。(笑)

K: 奥の深さを知ったんですね。

U: とは言うものの、材料や作り方がわかればなんとかなるだろうと、なおも甘い考えを捨てきれずにいました。(笑) 当然ですが、レイというものの本質を理解していないので、思うようにはいきませんでした。デンファレをつなげるだけの簡単なレイでさえ、相手につけてもらったらみるみるうちにすき間が空いて糸が見えてしまうありさまだったんです。

K: いきなり壁に突きあたったんですね。

U: 思った以上に難しい世界に足を踏み入れてしまったなと思いました。

K: だれかに教わろうとは思わなかったんですか?

U: フラワーアレンジメント教室はたくさんありましたが、レイ・メイキングというのは日本にはなかったと思います。その頃、ヒデさんというレイ・メイカーがいたので、習うことも考えましたが、自分もアーティストなんだという自負心がじゃまをしました。そこでまずは本物を体験しようと思い、ツテを頼って本場ハワイへ行ったんです。あちらでいろいろな先生について少しずつ学び、今日にいたるわけですが、いまもまだ学ばせていただいています。

K: なるほど。レイに接してからは、テレビや雑誌、ブログなどで活躍されていますから、みなさんすでにご存知かと思います。そしてこの本ですね。(※内容については「アロハ・ブックシェルフ」をご覧ください。)レイ・メイキングは大きな盛り上がりを見せていますが、花を売ることからレイを作ることへ軌道修正したのはなぜですか?

U: レイは自分でつくるものだと思うからです。みんなが自分で作れるようになればもっとハッピーなんじゃないかな? ぼくに関して言えば、レイ・メイキングを通していろいろな人に会えるし、花にも会えます。だから、これからもいろいろなところに行ってみたいし、見たことのない花を使ってみたい。お金をかけず、土地のものを使って作っていくということにこだわっていこうと思います。

K: 最後にUMAHANAというニックネームの由来を教えていただけませんか?

U: 「市場でうまそうな花を選ぶ」という意味です。ちょっと変わっているでしょ?(笑)

K: なるほど。今日はどうもありがとうございました。


◆UMAHANAさんプロフィール
UMAHANA。本名は大谷幸生(おおたに・ゆきお)
1969年神奈川県生まれ。フラワーアーティスト。雑誌、広告などで活躍の後、近年はおもにレイメーカーとして活動。都内アトリエでのレッスンのほか、ハワイアンイベントの装飾やワークショップなどを全国各地で行う。レイ作りを通して日本の花を元気にしたい、と花の栽培農家や全国の自治体との交流も積極的に行っている。

◆UMAHANAオフィシャルサイト
 http://www.umahana.com/

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