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ホクレア号での航海生活 文: 比嘉景子
写真: 児玉千恵
意外と小さく感じられるホクレア号

 ホクレア号を見に行かれた読者の中には、実物の船を見て意外に小さく感じられた方もいらっしゃたのではないでしょうか。実際に私も、「一体このサイズの船で、何ヶ月もどうやって生活しているの?」と疑問に思いました。そこで、気になるホクレア号でのクルーの生活を探るべく、クルーの池田恭子さんに乗船案内をしていただきました。

 池田さんは、ハワイ滞在中にナイノアさんに出会い、福岡〜宇和島間を乗船されました。今回ホクレア号では、外洋を航海した際は12〜13名程、比較的安全な内海(日本国内)は、22名乗船していたそうです。ホクレア号は、全長19メートル、幅5.3メートル。この限られた空間の中で、それぞれの役割を持った多くのクルー達が共同で生活するとあって、それぞれが乗船する際には「全てのネガティブな思いや、不調和を陸に置き、互いにアロハの気持ちを持って」乗り込むそうです。年齢も人種も異なるクルー達が、一丸となってホクレアの夢を運ぶには、心ごと一体になる必要があるのですね。

 ホクレア号には釘は一切使われておらず、各部位は全てロープで繋がれています。使われているロープ全てを繋ぐと、全長10kmにも及ぶそうです。古代式の航海カヌーでは、もちろん今日のようなロープはなく、ココナッツなどの植物繊維から作られたロープを使っていました。

 まず最初に見せていただいたのは、クルーたちが眠る「バンク」。眠ると言っても、実際は2〜3交代のシフト制でウォッチ(監視)をするので、クルー全員分のバンクがあるわけではありません。バンクは、片側それぞれ5つ、合計で10に区切られていて、とても小さく見えました。「良かったら入ってみてください」と池田さんがおっしゃるので、入ってみると、体がすっぽりと収まって、とっても居心地が良く、まるでテントの中に居るようでした。体の大きなクルーは真っ直ぐ仰向けに寝ることが出来ないので、体を横にして休むそうです。バンクのマットの下には、クーラーボックスがあり、通常クルーはこのクーラーボックス一つ分の荷物しか船内に持ち込めないそうです。たった一つ!これには驚いてしまいました。

ホクレア号最終寄港地の横浜 ぷかり桟橋に掲げられた横断幕
ココナッツシェルの繊維から作られたロープ
一見狭そうなバンクにはクルーが交代で眠ります

 カヌーの底には、飲料水や食料を積み込んでいるので、航海中に水が溜まってしまうと、クルー皆でかき出したりしたそうです。ホクレア号航海中に、クルーメンバーがそれぞれブログで船上での生活をお知らせしたり、衛星電話でハワイの学校の生徒たちのインタビューに答えたりしていましたが、その電力は、船上に取り付けられたソーラーパネルで蓄えられていました。またこの電力は、伴走船のカマヘレ号との交信にも使われました。電気系統のボックスの隣には、キッチンもありました。2口のコンロには、大きなヤカンが乗っていて、この日は、日本人クルーの荒木汰久治さんが、コーヒを淹れてクルーや見学されている方に振舞っていらっしゃいました。過去にはなんと、船上に暖炉を置いていた時代もあったそうです!

プロパンガスを使って調理します
無線などの電気機器はキッチンの隣に
無線連絡や航海ブログ更新に使われる電気はソーラーパワーで

 食料は、容器に毎食分ごとに分けておいて、テープで「Day33A」(33日目・朝食の意味)と明記し、重さのバランスを取るため、カヌーの四隅に置くそうです。見せていただいた容器には、タロパンケーキ・ミックス、フルーツ缶、オーガニックの豆乳、オートミール、ラーメンなど様々な食材が入っていました。フルーツや野菜などは、風通しの良いカヌー横のネットに収納されていました。池田さんによると「料理担当のクルーメンバーが、いろいろクリエイティブに献立を考えてくれたので、航海中は全く飽きることなく美味しい食事を楽しみました」とのこと。船上で食卓を囲むクルーの皆さんの楽しそうな顔が浮かんできます!

缶詰やオートミール、豆乳などが詰められていました
これは33日目の食材が入った大きなタッパー
オレンジや玉ねぎ、ニンニクなどは風通しのいい船体脇のネットに収納

 寄港地で、クルー達に出会った皆さんは、クルーが持っていた白いバケツが何なのか不思議に思われたかもしれません。池田さんによると、これは船酔いした時に、炭水化物を食べると楽になるという事から、クルー達が持って来たビスケットやクラッカーが入ったプラスチック製の容器で、密閉性が高くて航海中に海水や雨水が入らないので、食べ終わった後は個人の物を入れるバッグ代わりに使っているそうです。旅先で出会った人々に、寄せ書きをしてもらったバケツは、世界で一つだけの、思い出深いかばんになるのです。

元はビスケットなどが入っていたバケツ

 次々に謎が解けていくホクレアでの生活ですが、やっぱり気になるのは・・・トイレですよね?「トイレはどうされてたんですか?」と聞くと、「せっかくだからこれからやってみます?」と池田さんに手渡されたのはハーネスでした。まず、トイレに行く時は、行方不明かと心配されないように必ず他のクルーに「これから行って来ます!」とお知らせします。そしてハーネスを装着し、金具にロープを付けます。風向きを見て、カヌーの左右どちらに行くか決めたら(重要なポイントです)、カヌー後方のカーテンが掛かったバスルームに向かい、ハーネスのロープを船体側のロープにぐるりと通して、再びハーネスに装着させます。そして船体側のロープをしっかり握って体を乗り出したら準備OK。トイレットペーパーや石鹸などは、全てオーガニックで、海に流しても大丈夫なものを選んで使っていました。「私達クルーは、船上でも地上でも全く変わらない生活を心掛けています。例えば、船上では物を大切にして地球に優しい物を使いながら、陸に上がれば好き放題に贅沢をして、環境を省みないというのは、間違っていますよね」という池田さんの言葉が印象的でした。陸上の私達の生活でも、環境を守るために出来ることは沢山あるので、クルーを見習いたいものです。

甲板の外側へ出る時は必ずハーネスを着用します
船から落ちないようにしっかりロープにつかまります

 池田さんが「私が一番好きな場所なんですよ、気持ち良いから座ってみてください!」と見せてくださったのは、「トランポリン」。甲板から一段高いところに黒いシートが張られていて、クルーの皆さんはここに座ってウクレレを弾いて歌ったり、おしゃべりしたりしたそうです。トランポリンの先には、ナイノアさんなど、ナビゲーター(航海士)のみが座ることが出来るという、「ナビゲーター・シート」があります。今航海では、ホクレア号が誕生した後に産まれた若い世代のナビゲーター達もトレーニングを受け、乗船していました。それは、ホクレア号の中心に刻まれた「Kapu Nā Keiki」(子供達のために)の言葉どおり、「これは自分達のための航海ではなく、未来の子供達に夢を届けるためのもの」という思いです。船体には、ホクレア号に貢献したメンバー達の名前が彫られています。ナイノアさん、そして彼の師匠であるマウ・ピアイルックさん、大きな舵にはブルースさんの名前、そして、ナビゲーター・シートの真下には、1978年ホクレア号第2回目の航海で亡くなったサーファー、エディ・アイカウさんを記念するプレートが飾られていました。ホクレア号のクルーであり、1978年に遭難した仲間を助けるために命を捨てた彼は、ここ日本でも多くの人々に感動を与え続けています。

ナビゲーターは寝ずに、星や雲、海鳥などで進路を判断しなければいけない
"Kapu Nā Keiki" 「子供たちのために」
エディ・アイカウさんを称えるプレート

 ホクレア号には、男性と女性のキイが飾られていて、男性の方には目がなく、女性には目があります。不思議だと思いませんか?これは、「男性は目に見えないものを信じ、決断して進む者。女性は、男性には見えない物を見て彼らをサポートする」という理由があるからだそうです。男性のキイが飾られているカヌーは「男性サイド」、女性側は「女性サイド」と呼ばれ、どちらもあって初めて上手く機能すると信じられています。ホクレア号には、様々な専門分野を持った男性・女性クルーが乗っていますが、彼らに共通しているのは、海とお互いに対する深い愛情です。

左:男性のキイ/右:女性のキイ

 池田さんと荒木さんに、「航海が終わってみてどうですか?」と訊いてみると、お二人とも「これで終わりじゃないんですよ!」と声をそろえておっしゃいました。荒木さんは、「ホクレアが日本に来てくれたんだから、今度は僕達日本人が日本のために、旅に出なきゃいけないと思います。僕は、奄美から中国まで遣唐使が旅した海をたどりたい。それが夢です」 次は30代の若いナビゲーターによる航海を予定しているそうです。「いよいよ若い世代がリーダーとして、航海するなんて考えただけでも鳥肌が立つ!」まさに、Kapu Nā Keiki。池田さんは、「ホクレアに乗るまでは、“ホクレアってすごい!”って思ってたんです。でも実際に体験してみて、本当にすごいのはホクレアに乗っているクルー達だと分かりました。自分の貴重な経験を通して、もっと多くの人にホクレアと、観光だけでは分からないハワイの歴史や自然を、伝えていければと思います。本当にホクレアの事をこうしてお話するのが、大好きなんです」と熱く語っていらっしゃいました。また、ホクレア号プロジェクトがスタートした当初から、ずっと携わっていたキモさんは、「人生は、まさにボヤージュ(航海)だよ。会社や学校だったり、このカヌーのような狭い空間の中で、いろんな人と生活しなきゃいけない。時には困難に感じることもあるだろうけど、きっとどこかに島があると信じて、進み続けることが必要だ。もし自分は、“偉い、強い”と思ってホクレアに乗っても、そのプライドはたちまち砕かれるよ。なぜなら、自然はあまりにも大きくて、自分が無力だってことにすぐに気がつくから」と、1970年代の航海の様子を収めた写真とともに、ホクレアの歴史を語ってくれました。

日本人クルーの池田さんが熱心に説明してくださいました
池田さんとクルーのチャド・パイションさん

 ただ単に、古代の航海術が現代でも使えることを立証するための航海ではなく、それぞれのクルーが自分のルーツを探り、日系移民を多く出した寄港地を巡って地元の人々と触れ合い、また、広島や長崎と言った戦争で深い傷を負った都市で平和の大切さを感じ、宇和島ではえひめ丸のご遺族を訪れ、日本人の私達以上に、日本を愛してくれたホクレア号のクルー達。今度は、私達が互いに愛し合う番です。ホクレア号を後にする私達に、池田さんが、「先日乗船体験された方が、“沢山の人に出会えて、ホクレアも嬉しそうですね”言っていたんですよ」と笑顔で言われました。長い旅を終えたホクレア号は、これから故郷のハワイに帰り、次の航海に備えます。しばらく会えなくて寂しくなりますが、きっとまたどこかで元気な姿に出会えることでしょう。

前ページではホクレア号の記者会見と
ナイノア・トンプソンさんのインタビューの模様をご紹介します。


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 「特集 知る・歩く・感じる ホクレア(Hokuleʻa)」

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