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ホクレア号 横浜到着 文: 比嘉景子
写真: 近藤純夫、小塚直、
     児玉さやか、児玉千恵
帆を広げて横浜 ぷかり桟橋に向かうホクレア号(A)
ぷかり桟橋で多くの人々に出迎えられたホクレア号(B)

  2007年1月19日にハワイ島を出発したホクレア号は、6月9日に最終寄港地である横浜港に到着しました!実に149日にも及ぶ航海を終え、日本国内の様々な寄港地を訪れたホクレア号とクルー達。ヤップ島から日本までの航海には、日本人クルーの荒木汰久治さんと内野加奈子さんがクルーとして乗船していました。ぷかり桟橋では、着港するホクレア号を一目見ようと沢山の方が集まり、クルー達のアイハア、またフラや和太鼓のパフォーマンスも行われました。

 ホクレア号が、横浜に到着した9日の午後、ハワイ州観光局によりキャプテンのナイノア・トンプソンさんとクルー達の記者会見が行われました。到着してすぐとあって、クルーの皆さんも、興奮覚めやらない様子。会見でナイノアさんは、1人1人のクルーや、ホクレア号を支援してきた人々の名前を挙げ、丁寧にお礼を述べていらっしゃいました。また、今回の航海に乗船したクルーは、合計で260名以上。さらに、ホクレア号の準備にはなんと1,000名以上の方が携わったのです。実際に船に乗船したメンバーだけがクルーという訳ではなく、ホクレア号に関わった全て人々がクルーであり、同じく夢を運ぶ手伝いをした仲間だとおっしゃっていました。「航海の成功の95%は、トレーニングとリーダーシップの育成にかかっている」と言うだけあって、クルーは事前に多くのトレーニングを受け、乗船しました。今回は、ホクレア号よりも若い次世代のナビゲーターも参加し、古代ポリネシア人のスターナビゲーションの知識が絶えてしまわないように、確実にバトンが渡っています。

横浜ベイブリッジを望む桟橋に停泊するホクレア号(C)
ホクレア号を迎えた王立カメハメハI世騎士団(D)

 「こうして今、私達が日本にいるのは、まるで夢のようだ」と、ナイノアさん。「日本に来る前、私達は、様々な期待と夢を抱き、また、日本の皆さんに私達のプロジェクトが、果たして受け入れられるのかという不安もありました。しかし実際に、各寄港地で地元の方々に暖かく歓迎され、皆さんと交流する中で、本当に多くの素晴らしいアロハの贈り物をいただき、深く感動しました」 現在、ハワイでは日系5世の世代になり、日本の文化や伝統を知らずに育った方も多いそうです。しかし、ローカルの間にも、日系移民がもたらした日本文化の影響が色濃く残っています。ナイノアさんも、まさにその1人。子供の頃、近所に住んでいた日系2世の方に海の素晴らしさを教わったのです。ナイノアさんは、「日本人とネイティヴ・ハワイアンは、家族や先祖を大切にしたり、住む土地に感謝してしっかり手入れをするところ、そして文化を大切にするところが実に良く似ていて、今回の旅でも多くの共通点を感じました。時代の流れに翻弄され、多くの苦労を強いられたネイティヴ・ハワイアンと、日系移民はお互い貧しいながらも、家族のように助け合ったという長いアロハの歴史があるのです」と語りました。

出迎えの人々と言葉を交わすナイノア・トンプソンさん(E)

 寄港地として、広島と長崎を訪れたのも、ホクレア号が運ぶ平和のメッセージを伝える目的からでした。彼ら外国人クルーにとって、日本は「平和を愛し、そして大切にしている」国であり、ぜひその思いを世界に知らせて欲しいと強く願っていました。「TVやメディアが映し出すものが、憎しみや戦いならば、それらを見る私達も影響を受け、争う者になってしまう。そうではなく、自然に常に繋がってアロハの気持ちを忘れずに生きて欲しい」と、ナイノアさん。

 「今回の航海は全行程で、スターナビゲーションを行ったのですか?」という質問には、「ヤップから沖縄間は、スターナビゲーションのみで航海しました。沖縄に到着し、その後日本国内の寄港地への旅の目的は、あくまでも学びと交流だったので、キャプテン西村の協力により航海をしました。ホクレア号での航海に対しての私達の知識はまだ子供のようなものです。これはホクレアが経験した最北の航海で、日本の星、気候、潮の流れなどは、全く研究不足。ハワイから北上すればするほど、スターナビゲーションは困難になるので、もし日本内海で、スターナビゲーションを行うには、最低でもこれから5年のトレーニングが必要になるでしょう。特に、私達にとって日本の台風や渦を巻くような海流は全く未知の世界です」と答えました。

会見に出席したホクレア号のクルー達(F)

 さらに、「古代から伝わるスターナビゲーションは、現代でも通用するか?」という問いには、「自然は私達に必要な全てを与えてくれるので、もちろん今日でも充分に通用します。自然と繋がっていれば、GPSなどのテクノロジーも必要ありません。今日の私達は、“テクノロジー=高い教育をもたらす良いもの”と思いがちですが、必ずしもそうでないと私は思います。テクノロジーがあれば、航海は簡単になるでしょう。しかし、ホクレア号の航海が美しいのは、スターナビゲーションが大変難しく、厳しいものだからです。だからこそ、意味がある。航海は、ただ単にどこかにある島にたどり着くためではなく、最も重要なのはその過程です。祖先のルーツを探り、また自分の人生を見つめ直し、まだ見ぬ島の人々に希望を届ける、それが航海なのです。自然から遠ざかりテクノロジーという箱の中で生きようとするのは、あまりにも悲しいことです」と、力強く語るナイノアさんに、クルーの皆さんも頷いていらっしゃいました。

アロハカワラ版のインタビューに答えるナイノアさん(G)

 ナイノアさんは、会見の中で何度も「日本は、非常に美しい」とおっしゃっていました。「日本人には、アロハの心があり、常に親切で、敬意を持って接してくれました」と。ヤップ〜沖縄間の航海に参加した、荒木汰久治さんと内野加奈子さんは、日本人としてホクレア号に乗船して、「私達日本人は、果たしてクルー達が見るように日本を見ているでしょうか?寄港する度に読む新聞には、暗いニュースばかりが載せられ、とても悲しかった。ホクレア号での体験を通して、自分は何を大切にして、何に価値観を置き、何を目指して生きるのか、考えさせられました。また、人間には無限の可能性があると知り、日本の皆さんの暖かさに触れた旅でした」(内野さん)、「ホクレア号の旅は、まさに日本人としての自分のルーツを探る旅でした。子供の頃から転校生として育った自分は、一体何者なのか?そしてどこが自分の故郷なのか?と言う疑問を抱えていました。旅の途中で、自分の祖先が武士だったという事実も分かった。自分の経験を1人でも多くの皆さんと分かち合いたいを思います」(荒木さん)と話されました。ナイノアさんは、荒木さんについて、「タクは、まさに現代のサムライだ。彼は、刀の代わりに舵を持ったサムライそのもので、パドルするたびに、自分のルーツにどんどん近づいて行くようでした」とおっしゃっていました。

ホクレア号船体には"HOKULEʻA"の文字が(H)

 ナイノアさんは最後に「今回のプロジェクトが完結した今、私達クルーは、どうして良いのか分かりません。できればもっともっとセイルしていたい。これは、ホクレア号にとっても、私達にとっても終わりではないのです。これが始まりであり、ここから何を伝えていくか、が私達の使命であり、この航海の続きです」

 アロハカワラ版では、会見後、ナイノアさんにお話を伺うことが出来ました。

K(カワラ版): ようこそ横浜へ。そして、日本への航海の成功おめでとうございます。

N(ナイノア・トンプソンさん): ありがとう。今回、日本への航海をナビゲートする事ができて、とても光栄だよ。

K: インタビューなどでよく“航海で最も大変だった事”について聞かれると思いますが、逆に“最も有意義だった事”は何ですか?

ホクレア号の船首部分に掛けられたレイ(I)

N: 日本に対して特別な思いを持っている自分が、ナビゲーターとして航海に参加できたことだね。今回の航海は、ホクレア号にとっても最北の旅だったんだ。だからとても難しかったし、絶対に成功させて日本の皆さんに会いたいと思っていたよ。

K: 最初に沖縄を見たときはどんなお気持ちでしたか?

N: 実は、沖縄に到着する前、あまりにも興奮していたし、天候も悪く、混乱してしまったんだ。だから、到着する前夜は一旦全てを止めて、ゆっくり考えをまとめる時間を持ったんだよ。

K: ナイノアさんにとって、ハワイの日系移民がどのような影響をもたらしたのか、教えてください。

N: 子供の頃、忙しい両親の代わりに、隣に住んでいた日系2世の家族が良く面倒を見てくれたんだよ。まるで親代わりのようだった。彼の名前はヨシオ・カワノと言って、僕に海の全てを教えてくれた先生なんだ。

K: 2世ということは、若くしてご両親とハワイに移住されたんでしょうか?

N: そうだね。でも、その当時は彼の両親がどこの出身だったのか、全く分からなかったんだよ。僕も子供だったから、そこまで聞かなかった。

K: 日本に来られる前のインタビューでもヨシオさんについてお話されていましたよね。今回の旅で、ヨシオさんとその家族について何か分かりましたか?

N: 実は、全く予想していなかったんだけど、インタビューを読んだ方が、いろいろ調べてくださって、ヨシオの両親は山口県の沖家室島出身だと教えてくれたんだよ。彼のお父さんは、どうやら漁を教える学校の教師だったようなんだ。

K: それ素晴らしいですね!

日本とハワイは日系移民を通して長い歴史を共に歩んできた(J)

N: 調べてくれた方には、本当に感謝しているよ。ヨシオは、僕の最初の海の先生であり、僕のお父さんでもあるんだ。だから、ヨシオのお父さんが彼に教えた海の知識が、幼い僕に伝わって、今は僕から若い世代のクルーに受け継がれている。ハワイの漁の道具や手法は、驚くほど日本の物に良く似ているんだ。ここにも、日系移民の影響があるんだね。

K: ナイノアさんの海のルーツは、日本にあったとも言えるのですね?

N: そう。だから、日本はとっても特別な場所なんだ。

K: これからは、もっと若い世代が、スターナビゲーションを学んで、航海に出るべきだとおっしゃっていましたが、今回、寄港地でホクレア号に触れて、いつか自分もナビゲーターとして乗船したいと思う日本の子供達にもチャンスはあるでしょうか?

N: もちろん。ただ、若いうちからプログラムに入り、しっかりトレーニングする必要があるね。

K: ホクレア号を通して、夢を持って、実現すると信じて歩むことが大切だと改めて知りました。今日はどうもありがとうございました。

N: こちらこそ。アロハ。

オハナ(クルー)を大切にするナイノアさんは、ビーチサンダルにもこだわりがありました(K)

ナイノアさんは、ぷかり桟橋に到着後、疲れも見せずに多くの見学者達の求めに応じて、一人一人丁寧に写真撮影などに応じてらっしゃいました。インタビューの際も、話し振りがとても穏やかで、一つ一つの質問に丁寧に答えてくださり、人となりが垣間見られました。クルー達は皆仲が良くて、まるでオハナ(家族)のようで、長い航海を経て生まれた一体感を感じることができました。

写真: 近藤純夫(C)、小塚直(F, H)、児玉さやか(A)、児玉千恵(B, D, E, G, I, J, K)

次のページでは、ホクレア号の船内での航海生活をご紹介します。

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 「特集 知る・歩く・感じる ホクレア(Hokuleʻa)」

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