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エマラニ・フェスティバル

ミノリ・K・エバンズ

今年のクィーン・エマが祭典を見守る

 毎年10月にコケエ州立パークで行われるのが「Eo E Emalani i Alakai」、通称エマラニ・フェスティバルである。今年で17回目を迎えたこのイベントは、カメハメハ4世の妻ナアエア・エマ女王が1871年に行ったワイメア〜アラカイ・スワンプへの歴史的な旅を讃えるフラの祭典である。私が所属するハラウ(フラの教室)では、このイベントに参加するのが毎年の行事になっている。

 クィーン・エマの通称で親しまれるナアエア・エマ女王は、カメハメハ4世の妻となった女性。愛息アルバートを4歳で亡くし、夫であったカメハメハ4世も29歳の若さで逝去。ハワイ王朝が時代の抵抗勢力と真っ正面からぶつかっていた時代に生き、公職を追放になるなど、波瀾万丈な生涯を送った「悲劇の女王」と言われる一人である。また、クィーン・エマと言えば、その生涯を通じて慈善活動に情熱を傾けた人でもある。カメハメハ4世とともに、とくにハワイの人々の健康のために活動し、当時海外から持ち込まれる感染病により、人口が激減するだろうと見られたハワイ先住民をそれらから守るために尽力したと言われている。夫のカメハメハ4世とともに独自の基金を募り設立した病院は、現在、ホノルルで最も大規模な総合病院のひとつとして知られる「クィーンズ病院」。“旅先で体調を壊したら、ここ”と日本から来る観光客には案内されることが多いので、この名前に聞き覚えのある方も多いことだろうと思う。カメハメハ4世が逝去した1863年から8年後に敢行されたのがワイメア〜アラカイ・スワンプへの旅。エマラニ・フェスティバルはクィーン・エマを追悼し、その名を後世に残していくためのイベントだそうだ。


子供たちによるカヒコ

 フェスティバルには、昨年に引き続いて同じフラ・ファミリーにあたる、プナ・カラマ・ドーソン、ネイセン・カラマ、ドリック・ヤリス、マカ・ハロッドの4人のクム・フラ(フラの先生)が率いる4つのハラウからなる 「Hui O Kalamaola」で参加。それに加えて、オアフからプナの妹・シャラニのハラウ、そしてアナホラにあるハワイアン・スクール「Ka nui ka pono」の子供たちが合流。私たちはこのフェスティバルに合わせて、コケエの山で5日間にわたるフラ・キャンプも行っていたのだけれど、30名ほどの子供たちの参加でそれはそれは賑やかな時間を過ごしていたのだ。キャンプでは、カヒコ(古典フラ)、チャント(詠唱)のレッスンやフラで使う道具の製作、そしてフェスティバルで踊るカヒコとアウアナ(モダン・フラ)のレッスンなどなど盛りだくさんなメニューに加えて、とにかく時間が空けば誰かがウクレレを弾き出しては唄が始まり踊り出すという、楽しいけれど、とても寝不足な日々の連続であった。


解放感あふれるコケエ州立公園でのフラの祭典

 フェスティバル前日、プナが子供たちに着せるカヒコ用の衣装をミシンで縫っては、出来上がった衣装を手にしながら、一人一人の子供の名前を呼んでいく。一人一人の子供の名前を呼んでは、「はい、これがあなたの衣装」と渡していく。ハラウの中から一人一人の子供につく者を指名していく。私が担当になったのはステファニーという女の子。プナから渡された彼女の衣装は、その時間が来るまで、私が責任を持って管理する。アイロンを当てたりするのも割り当てられた大人の責任。「あなたのことは、アンティ・ミノリがちゃんと面倒を見るからただ彼女についていなさい」とプナ。そう言われた瞬間から、ステファニーと自分との間に特別なつながりを感じてしまうから不思議である。前夜は自分の衣装はともかく、彼女の衣装にシワが寄らないようにと丁寧に吊るして撫でていた私なのだ。


ニイハウ島の子供たちによるパフォーマンス

 当日は、出入りのリハーサルをキャンプ・サイトで行った。プナがときおり声を詰まらせながら、こうやってハワイに生まれ育った子供たちに、自分たちの文化をシェアし、バトンをタッチしていける機会を得られたことをほんとうに嬉しく思う...というような話をする。ふと見ると、子供たちの中にもそれを聞いて涙している年長組の子も見られて、ああ、何だかとても貴重な時間に参加させてもらっているなぁと、思わず胸のあたりが“じゅんっ”となってしまった。時間が近づいてきて、ステファニーに衣装を着せる。衣装を着て、こういう場所で踊るのは初めてだという彼女。楽しい時間を過ごしてくれますようにと気持ちを込めて、丁寧に衣装を着せていく。そして私たちの衣装は、すべてクムが着せてくれる。すべてのハウマナ(生徒)に衣装を着せて、髪も飾りつけていくというのはもちろん骨の折れる、エネルギーのいる作業に違いない。けれども、そうやってクム自身が自分のエネルギーを各自に渡していくことが必要なのだそうだ。衣装を誰かに着せたり、着せてもらったりというのは、ただの作業ではなくて、エネルギーや気持ちを渡し合う作業だということをいつも感じる。フラをしている方にはきっとこの感覚が分かってもらえるのではないだろうか。


私はカヒコ・グループで参加

 フェスティバル会場になるコケエ州立公園へと移動して、リハーサル通りに入場。といっても芝生の広場の中央へ出て行くだけなのだけれど。今年のクィーン・エマ(毎年指名された女性がクィーン・エマになり、付き人とともに馬に乗って山から降りてきて、フェスティバルが終わるとまた馬にまたがって山へと消えていくのだ)の前でグループ別に、カヒコ、アウアナを踊る。日光をサンサンと浴びながら、のんびりと開放感溢れる中での祭典である。今年は10グループが参加。ニイハウからの子供たちも美しいカヒコとチャントを披露してくれた。私はこの「エマラニ・フェスティバル」の、空気感みたいなものが好きである。観光客にアピールするでもなく、コケエの山の上で静かに、でも情熱的に続けられているフラの祭典。そこに静かに、でも情熱的に自分の信念に生涯をかけた、クィーン・エマという女性を重ねてみたりするのである。


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