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太平洋戦争に至る日米関係とハワイ移民
柏木 史楼
日系人の手によってつくられたダイヤモンドヘッド・トレイルにあるトーチカ

 日米関係が悪化した主因は、両国がいかなる我田引水的な理由を掲げようとも、東アジア、特に中国での利権争いであることは間違いのないところでしょう。アメリカは日本の鎖国政策を打ち破り、近代化への門戸を開いてやったという自負があり、当初は日本に対するイメージは良かったはずです。しかし、朝鮮半島の利権を巡って勃発した日清・日露戦争で、日本が老大国清国だけでなく、西欧の列強ロシアに曲がりなりにも勝利したころから、アメリカは日本に対する警戒心を持ち始めました。第一次世界大戦(1914-19年)では、日本は連合国側の一員として戦い、アメリカの日本に対する警戒心も一時、緩和されたかのように見えましたが、日本の対ドイツ参戦そのものが、日本の中国への野心の現われとして、すぐに一層の強い警戒感を持たれる結果となったようです。特に1920年代から30年代にかけて日米関係は、さらに悪化し、両国の間には緊張関係が高まりました。さらに32(昭和7)年の満州国の成立によって、日米関係は決定的な状況になっていきます。

第二次大戦を通じ、国籍とは何かを問う『ハワイ日系米兵』

 1937(昭和12)年に日中戦争が始まり、40(昭和15)年の日独伊三国軍事同盟の締結、翌年の日本軍のインドシナ半島への進駐と、これに対するアメリカの対日石油全面禁輸と在米日本資産の凍結が行われ、ついに日本は41(昭和16)年12月8日にハワイの真珠湾攻撃を決行してしまいます。戦争と移民、実は深い関係にありました。大きな戦争の前は、予備の兵力も動員され、軍備の拡張もあって、戦争景気にわいて、労働市場も労働不足に陥るために、その結果、海外への出稼ぎは激減します。ところが、戦争が終わって、その戦争に勝ったとしても、あるいは負けたとしても、同じ様に戦後不況に陥り、街には復員兵があふれ、労働市場は労働力の過剰を生じさせます。必然的に、余った労働力は海外への出稼ぎとなって、結果的に移民が増大するという図式になっていました。これはハワイ移民もけっして例外ではなかったのです。海外への出稼ぎは、個人的立場から見れば、それぞれ個人的な理由によって行われていますが、全体的な立場からに見れば、国の政策とは決して切り離しては考えらることができないものだということに留意すべきでしょう。

日米双方の謀略説がいまも渦巻く日本軍「奇襲」直後の光景

 1930年代に入って、日米関係が深刻化する中で、ハワイの移民の家族には深刻な世代間の軋轢(あつれき)が生じていました。親の移民一世とその子である移民二世の間では、日本に対する意識に大きな隔たりが生じていたのです。移民一世はアメリカの市民権が得られず、一方、アメリカ生まれの移民二世は、国籍の出生地主義をとるアメリカでは自動的に市民権を得ていました。ところが、親の国籍によって子供の国籍を決めている日本では、アメリカで出生した日系人にも、日本国籍を認めていましたから、移民二世は二重国籍状態になっていました。そうした中で、アメリカの高等教育を受けた移民二世の多くは、日本国籍を捨ててアメリカ国籍を選んでいきます。アメリカで生まれ、アメリカで育ち、アメリカの教育を受けた者にとって、両親の国とはいえ、日本は遠い外国でしかなかったのです。特に、ハワイの移民二世たちはアメリカ本土の移民二世に比べて、そうした意識が強かったといえます。ハワイでも東洋人、特に日本人に対する差別感がなかったわけではないのですが、本土の西海岸における日本人差別に比べれば、それほど深刻ではなかったのです。それは、やはり原住民のハワイアンの存在が大きかったといえるでしょう。白人系に支配権を奪われていたとはいえ、白人たちもハワイにいる限り、ハワイアンを無視することはできなかったのです。同時に、ハワイでは既に日系人たちが一定の社会的経済的な基盤を築いていました。日系人の協力なしでは、ハワイの社会・経済が有効に機能できなくなっていたことも、アメリカ本土とは異なる状況にありました。

入国管理施設と名づけられたホノウリウリの日系人指導者隔離施設

 連邦政府は日米開戦後、日系人を強制収容し、辺境の地に設営された、いくつかのキャンプに隔離しますが、ハワイは例外的に日系人の中でも指導的な立場の、少数の者が収容されただけで、大多数の日系人は、そのままの生活を許されました。後に日系部隊が編成されたとき、その部隊の中心的役割を果たし、大きな犠牲を払うことになったのも、ハワイの日系二世たちでした。このことは愛国心、別な言葉で言えば、国家に対する忠誠心は、どこから生じるのかを教えているのではないでしょうか。

 少子化によって、今後は人口の激減が予想されている日本では、近い将来、何らかの形で移民を受け入れなければらない状況に追い込まれることでしょう。そうした移民が日本社会に容易に溶け込めるかどうかは、移民側の問題である以上に、受け入れる側の問題が大きいと言えるのではないでしょうか。そうした意味では、ハワイにおける日系移民の歴史から学ぶものが決して少なくないように思われます。

 次回以降、2回にわたって、日系二世部隊の編成とヨーロッパ戦線での活躍を紹介します。


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