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はじめてのカヌーレース

ミノリ・K・エバンズ
カヌーのスプリント・レースが行われたワイルア・リバー

 ワイルア州立公園に流れる川、ワイルア・リバーでアウトリガー・カヌーのレッスンが始まったのは、3月の下旬だったか、4月の初旬だったか。もう忘れてしまったけれど、ちょうど、アウトリガー・カヌーを始めて、1ヶ月ほどが経った頃に、初めてのカヌー・レースに参加した。通常レッスンは週3回。1ヶ月で、12回ほどのレッスンを経てからの初レースとなった訳だけれど、「え、そんなに早くレースにエントリーしてしまうのか?」とちょっと(レース)デビューの早さに驚いた。しかも私は怠け組で、週3回のそのレッスンにも出たり出なかったりを繰り返していた最中である。「とりあえず来い」と言われて、前日にレース会場となるワイルア・リバー沿いに行ってみると、メンバーのみんなでその周囲一帯を整備している。「レースの下準備まで参加者がやるの?」と聞くと、「明日は、私たちのカヌークラブ主催のレースだからよ」と、これまた驚く返答が返ってきた。驚いたというのは、もちろん私自身の情報不足度で、つまりそんなことも知らずに、なんとなく参加していた自分にちょっと驚いたのである。

ワイルア・リバーは川の両岸を椰子の木が覆う美しい場所

 私たちのカヌークラブは、もともとあったカヌークラブに、フラのハラウ(教室)が飛び入り参加する形で始まった、できたてホヤホヤのコンビネーション・カヌーチームという状況である。私たちのクム・フラ(フラの先生)がコーチをする形にもなった。私たちのクム・フラのプナは、もともとはモロカイ・チャネルなどの大きな大会を何度も経験しているカヌー選手で、コーチ歴も長い。その昔は、サーフィンとカヌーを漕ぐことをこよなく愛していたらしく、これまたクム・フラであった彼女の母親のフラの時間から、どう逃げ出すかということにエネルギーを注いでいた日々も長かったらしい。フラとカヌーを漕ぐというのは、ぜんぜん別のことのようでいて、ハワイ文化を理解するのに、切っても切れないのがフラを踊ること、カヌーを漕ぐことだというプナの考えで、構想数年以上、今年やっと実現したカヌーのレッスンである。日本にいた頃に、シーカヤックで日本のあちらこちらを漕ぎ回っていた私は、ハラウのメンバーの中でも、カヌーのレッスンが始まるのを待ちこがれていた一人であった。

 シーカヤックと違うのは、アウトリガー・カヌーというのは完全にチームワークであること。6人の漕ぎ手が乗り込んで、息を合わせて漕ぎ進む。一番前に座る「ストローカー」と言われるポジションの人がペース・メーカーとなり、「ステア・マン」と言われる最後尾のポジションに座る人が舵取りをする。先頭から2番手に座る人がパドリングの数をカウントして、「ハッ&ホー」とかけ声をかけ、それを合図にパドルを持つ手を変えて左右をチェンジする。国籍もさまざま、加えてできたてホヤホヤのチーム・メンバーの私たちには、「息を合わせて漕ぐ」という、基本中の基本がなかなかできない。「ちょっと、誰が舵取りしてるの? 蛇行してるわよっ」「誰かちゃんとカウント取ってる?」と叱咤が飛び交う。平和主義の私は、この叱咤し合うという雰囲気におののいてしまい、当初はかなり腰が引けてしまった。それゆえに、みんなのペースに合わせて漕ぐのに必死で、乗り物酔いのする私が、これまでのところ、船酔いを経験していないのは幸いである。

初レースあとにレイをもらった

 ともかく、そんな中、突然のようにやってきた「初めてのカヌー・レース」である(突然ではなかったらしいけれど、ボヤっとしていた私にはまったくもって突然の出来事だった)。当日はファンド・レージング(チームのための資金集め活動)のために「パニニ(イタリアン・サンドウィッチ)作り&売り」もあるらしいと聞いて、「じゃぁ、ひとまず今日はそれに専念しよう」と自分勝手に大決定をした。当日のレースは全部で42レース。初心者からシニアまで、いくつかのカテゴリーに分けてのレースが行われると事前の説明では聞いていた。川幅との関係もあって、1回に漕げるカヌーは最大3艇。42レースと聞くと、「そんなに!」と思ってしまうが、ひとつのカテゴリーに9艇が出る場合は、それで3レースとカウントされる。レースが開けてみると、驚くことに「初心者」部門なんてものはなく、多くが経験豊か、大きなレースで入賞経験のある強者パドラーばかしだと言う。それでも超初心者ながら、タイム的には我がチームもいい感じで健闘していたようだ。ただし、この日は、0.25マイル(*)を漕ぐスプリントレースということもあって、見た感じでは、話にならないくらいの差がいつも他チームとの間に空いていて、見ていて、それはけっこう悲しいものがあった。

* 約402メートル

漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ

 レースも半分を過ぎた頃、コーチのプナがパニニ売りのブースにやって来て、「今日は全員出るのよ。まだ出ていない人、手をあげなさい」と大声で言われた。一緒にパニニを売っていた姉妹が「まだでっす」と手を挙げたのと同時に、知らぬ顔でそっぽを向いて、ぐっと両手を背中にまわした私であった。ところが、そんなズルい人間を見ている人というのは、かならずいるものである。5分後に、管理ブースにいるプナから「今すぐ来い」と声がかかり、レースに出る手続きを無理からに終了。38レースの声がかかったらスタンバイしろとだけ言われた。かなりしてから38レースの声がかかって、なんだか訳のわからないうちにレースを終えた私。見ていた時は、みんな川の上流側からスタートして下流に行くというものだったけれど、旗をまわって2往復をしたような気がした。4倍の距離である。レースを終えて岸に着くと、メンバーからレイを首にかけてもらった。「なんで、このクルーだけレイをもらうのかな」ということ、「Good Job!」の声がみんなからかかる。なんだ、なんだ? と思っていたら、この日、一度きり、スプリントでは一番長い1マイル・レースに参加したということであった。ズルいことをするとこういうことになるらしい。コーチに「ミノリが出てないから出したらいい」と言ったチームメンバーがやってきて、「どうだった?」と聞かれ、「どうせ、出るならいつかは勝ちたいなぁ」と私。すると「ほらね、イヤだ、イヤだと言ってるけれど、アンタはレース向きだと思ったのよ」と、その超アネゴ肌のチームメイトは言ったものである。私も、自分の中に、レースに勝ちたいなんて思う気持ちがあるのが驚きで、新鮮だった。それからレース中にカヌーを漕いでいる間はなんだかアドレナリン液がいっぱい出ていたようにも思う。ともかく、心地よい疲れとともに、はじめてのカヌー・レースは終了。「これからはレッスンにがんがん来るでしょ?」と聞かれ、「うん!」と元気いい返事をした私。あれ以来、実はレッスンには行っていない。「一番カヌー・レッスンを楽しみにしていたのに、誰よりもレッスンに姿を見せないってのは不思議だ」とみんなに後ろ指を指される日々である。レースが目白押しになる7月、8月までに復活を計画している今日この頃であります。

 


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