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ミノリのカウアイ日記

Pray for JAPAN with ALOHA

ミノリ・エヴァンス
 東北関東大震災で被災されたすべての方々に、
 そしていまも被災地で厳しい時間を過ごされているすべての方々に、
 明日への希望の気持ちを込めて、カウアイ島から心からのALOHAを送ります。

 3月11日、私はクム・フラ(フラの先生)とともに日本にいました。
今年9月に開催する予定でいたハラウのホイケの会場の下見に、大磯のホテルのバンケット・ルームを訪ねていた時、地震がありました。揺れそのものは大きなホテルの建物の中にいて、それほど強いとは感じなかったものの、とても長い時間に感じられ、ホテルの人の誘導で屋外へ。宿泊客の方たちも屋外へ出て来られていました。下見の時間を終えて、フラシスターの運転で、茅ヶ崎にある彼女の家へ向かう途中も何度か余震のために車を停めつつ、帰宅。その日は次のレッスンのために東京に向かう予定でいたものの、彼女の家で飼い始めた子犬の様子を見に立ち寄ったのが幸いする結果となりました。テレビをつけるとすでに東北で起こった津波の様子がニュースで流されていて、東京行きを中止。あのまま東京に向かっていたら、大渋滞に巻き込まれて身動きが取れない状況になっていたのでしょう。テレビで流される映像を見ながら、私自身は自分が体験した阪神大震災での日々を思い出していました。当時、アウトドア用品メーカーに勤めていた私は被災地に入って、テントや寝袋などを配布する作業にあたっていました。辺り一面が焼け野原になって、「戦争ってこんななのかな」と何度も思ったのを思い出していました。けっきょく、2日ほどを茅ヶ崎のフラシスターの家で過ごして、以降のレッスン、ワークショップをキャンセルにしてカウアイ島に戻りました。


 戻ってからは、インターネットで配信される日本のニュースや関連動画を見続けていました。被災状況は落ち着きを見せる様子もなく、それに原発問題が加わって、状況は悪化していく一方に思え、たくさんの人々が思っていたのと同じように、「自分にできることが何かあるはず」だと考えていました。まずは支援、義援金のドネーション集めが最初。そして日が経つにつれて海外のニュースというのは、ローカルのニュースからは姿を消していきがちなので、YOUTUBE などで拾った動画を貼付けて、知人友人に送っていました。阪神大震災の時を思い、微力でも、一人一人の微力が明日への糧になると、それを信じて疑ったことはありません。いまもそれを信じて、自分にできることをカウアイ島で淡々と続けていこうと思っています。復興には時間がかかることでしょう。震災の衝撃が生々しい時期を過ぎてから、それからがまた復興への長い道のりだとも思います。事態は収拾を迎えていない、みんなからの長期の支援が必要だということをこちらで呼びかけていきたいなと、それを実施するのみです。

 カウアイ島では、「PRAY FOR JAPAN」の集まりがさまざまなグループのオーガナイズによって行われています。何月何日何時にどこそこのヘイアウに集まって、一緒に祈りましょうという呼びかけのメールが私のもとにも来ます。お金のある人はお金を送っているだろうし、こうしたらいいという知恵のある人はそういったメールを友人知人にまわしているだろうし、どうしていいかわからない、自分に何ができるかわからないという人は、そういった「PRAY FOR JAPAN」の集まりに参加する。それぞれが自分にできることをしているようです。私自身は、いまも支援金を呼びかけています。そして、「KE ALOHA I NIPPON」というメッセージを入れたTシャツを売って、支援金に充てています。これはオアフの友人が作ったTシャツで、彼女たちのサーファー仲間を中心に呼びかけの輪が広がっています。同じアイデアを持っていた私は、自分で作るよりも、彼女たちのそのプロジェクトに賛同支援することにして、カウアイを中心にそのTシャツを売り、その売上金を日本に送っています。送る先は、私の懇意にしているフラシスターのだんなさんがやっている会社「THREE OCEAN」。サーフィン用のウエットスーツを作っているメーカーです。ウエットスーツを製造していた工場は被災地にあって流されてしまったそうですが、手元に残っていたドライスーツを被災地に運んで、流された人々を捜索するために冷たい海の中に入っていく作業員に配布を開始しているとのことです。またサーフィン関連のメーカーというのは、チーム・ライダーとして契約ライダー(サーファー)を抱えてもいます。「THREE OCEAN」のチーム・ライダーのうち10名ほどが被災地にいたということで、幸いにも無事だったチーム・ライダーたちと、茅ヶ崎にあるオフィスのスタッフとがタッグを組んで、被災地と茅ヶ崎を往復して、物資やお金を運んでいるようです。Tシャツの売上金はそこに直接渡っています。カウアイでもサーフ仲間、フラ仲間、また日本からも多くの支援が集まっています。また私が日本にいた時に働いていたアウトドアメーカー「モンベル」でも、’アウトドア義援隊’ を組んで、現地での支援にあたっています。

 自分にできることは人それぞれに違うと思います。お金を送る、知恵をシェアする、祈る、動画などを作成して国内外からのメッセージをたくさんの人にシェアする。それからこの震災から何かを学ぼうとすることも自分たちにできることなのだろうと私は思っています。海外に住んでいる日本人の多くが、いろいろな場面で、自分を歯がゆく思っているのだろうと思います。それでも私たちの多くは、せめて気持ちだけでも日本のみんなと寄り添っていたい、一緒にいたいと、こちらでできることを実施していることだと思います。もう充分にがんばっているみなさんに「がんばって」と呼びかけ続けるのは心苦しいけれど、それでもそれ以外に言葉が見つけられないのも事実です。

 カウアイでは夜9時を過ぎるとほとんどのお店もレストランも閉店して、街灯もろくにない住宅地、それからハイウエイ沿いでさえ、真っ暗になります。夜が暗いと、月の満ち欠けが夜空の明るさで感じられることを、星空がどれほどきれいなものかということも、こちらで暮らすようになって改めて知りました。都会の暮らしではそれを「不便」と呼ぶのかもしれないけれど、便利すぎる世の中である必要もないんじゃないのかなと、この震災を機に「行き過ぎない便利さ」ということを、私自身は学びかけているように思っています。こんなにたくさんの言葉を綴ってみても、「言うべき言葉が見つからない」というのが、私のいまの正直な気持ちです。でも、海外の人が感心する通り、日本人は強い。何もできないから、微力すぎるからと脱力するよりも、復興に向けて、明日に向けてみんなで力を、そして気持ちを合わせていきたいですね。被災地でもそれ以外の各地でも、新しい命は産まれていることでしょう。次の世代、次の次の世代により良い日本を残せるように、力を合わせ合いたいですね。


モキハナの実がなっていました

 今回掲載した写真は、先日コケエの山に行ってマイレを始め、いろいろな樹木の苗をいくつかのフラ・ハラウのメンバーとその家族、コケエのレンジャーたちで植えた時のものです。子どもたちもたくさん参加して、その辺り一面から雑草がなくなり、たくさんの樹木の苗が植えられました。たしかに一人一人のできることは小さなことかもしれないけれど、人の手が集まるってすごいことなんだなと改めて思った一日でした。

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