ハワイの自然、文化、歴史がテーマのアロハWEBカワラ版
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アロハカワラ版第100号記念座談会
近藤純夫

近藤: アロハカワラ版もついに第100回を迎えました。開始当時はあまり知られていませんでしたし、いまも比較的地味な存在だと思いますが、それなりにハワイの自然と文化に関するメッセージを伝えて来られたのではないかと思います。そこで100号を記念し、ハワイの見識家であるみなさんと、深くハワイの魅力を語っていこうと思います。 今日は、「ハワイの神話と伝説」のサイトを運営されている延江俊輝さん、雑誌「フラレア」の編集に携わっていらっしゃる橘田みどりさん、そして日系移民を中心に、ハワイ関連の書籍情報を発信していらっしゃる浅海伸一さんをお迎してお話しを伺います。

第一部 ハワイとの交わり

近藤: 最初にみなさんとハワイとの関わりについてお話しいただけますか?

延江: いちばんドラマ性がないのがわたしではないかと思うのですが…。(笑) わたしはもともと神話が好きで、世界の神話を読んでいました。ハワイと関わるきっかけは作家の池澤夏樹かもしれません。昔から彼の本が好きで、いろいろと読んでいたのですが、彼の「ハワイイ紀行」を読んで、ハワイは単なるリゾート地ではなく、なかなか奥の深い世界なんだなという認識を持ちました。その後、家庭サービスも兼ねてハワイへ行ったのですが、強く感じたのは空気の質感ですね。何となくスピリチュアルなものを感じました。滞在中に書店へも行ったのですが、ハワイアナ(ハワイ関連書籍)のコーナーに多くの神話の本があったのに驚きました。

近藤: そのとき何冊か購入されたのですか?

延江: ええ、ペーパーバックスを何冊か…。

近藤: そのときの本で、今思うと重要だったなという本はありますか?

延江: 最初は手軽にちょっと読んでみようという気持ちだったので、とくに考えて買ったわけではありませんが、そのとき買ったウエスターヴェルトのボルケーノ神話とかは今でも時々読み返したりしています。

近藤: ハワイの神話関連の本は何冊ほどお持ちですか?

延江: 100冊、いや200冊ほどでしょうか。稀覯本で入手できなくて、州立図書館でコピーさせてもらった束みたいなのもあるので、ちゃんと数えたことが無いんです。

近藤: すごい数ですね。その膨大な蔵書から延江さんの知識が創られ、サイトにも反映されているわけですね。橘田さんの出会いとはどのようなものだったのでしょう?

橘田: わたしの場合はドラマチックというか、あまり文化的なものではないんですが、ハワイとの出会いはウインドサーフィンにはまってハワイに行ったことですね。

延江俊輝氏
延江さん

近藤: 日本ではどちらでやってたんですか?

橘田: 湘南です。いま、わたしはフラに関わる仕事をしていますが、そのときはフラにはまったく興味がなく、ひたすらサーフィンやボディーボードをしていました。その数年後、友人(フラレアの平井編集長)の出場するサーフィン大会を応援しに行ったんです。とてもよい天気で、茅ヶ崎の海が真っ青だったのを覚えています。その青を背景にエキシビションでフラが踊られたのですが、それを見た時に「かっこいい、可愛い!」それですぐに近くのハーラウに入学しました。それからどんどんはまっていきました。その後、ハワイへ行ったときに初めてパウスカートを買いました。

近藤: そして現在の雑誌のお仕事へとつながるわけですね。浅海さんはいかがですか? 浅海さんの場合はかなり深い関わりがあることを聞いています。いろいろプライベートなこともあるので、どこまで触れていいのかと…。(笑)

浅海: ホームページ上などでは話していないのですが、じつはわたしの父はハワイ生まれなんです。いろいろあって日本へ戻り、そこで生まれたのがぼく、というわけなんです。ですから、そういった意味ではぼくはふつうの日本人なんですが、ハワイとの関わりは深いとも言えます。ぼくはいま47歳なんですが、この世代というのは、たとえばハワイ旅行が一等賞品のテレビのクイズ番組や、トリスを飲んでハワイへ行こうというCMを観てハワイに対して憧れを持って(刷り込みされて)育ったと思うんですね。大きくなって、父親がハワイ生まれだと言うことを聞いたとき、ぼくは、あんないいところで生まれたんだという羨ましさみたいなものを感じました。ただ、まだこの時代はそれほど海外旅行は自由な時代ではなかったから、漠然としたニュースしかなく、単なる憧れを超えることはありませんでした。ぼくが小学校の1、2年生のときだったかな、初めて家族で行くチャンスが訪れたんです。(※1965年、浅海さんの父欣一氏は24年ぶりに祖国ハワイを訪れる。)父親にとっても戦後初めてのハワイ行であり、帰郷でした。行きはその方が安いということもあり、1週間くらいかけて、さくら丸という船で行ったのですが、テレビでしか観たことのない景観を見て強烈な印象を受けました。でも、ぼくはまだ小さかったですし、単なるミーハー的な気持ちしかなかったんだと思います。 本格的にハワイのことを学びはじめたのは最近のことです。ホームページを開設しようと思ったとき、なにかよい素材はないかなと考えて思いついたのがハワイだったんですね。本格的に本を集めたり読みはじめたのはここ十数年のことなんですよ。

橘田みどり
橘田さん

近藤: ぼくはいま某講座でハワイ移民に関わることをお話ししているのですが、初期の外国人移民というのは、借地という名目はあっても、実質的に土地所有者のようにふるまっていました。当時の白人社会は恵まれた人たちで構成されていますよね。その次の時代にサトウキビ農園で働く労働者が大挙して入ってくるんですが、そんなことを勉強しているうちに、日本人移民にも興味が向いて、いろいろ資料を集め始めたんです。最近知った本のひとつに『引き裂かれた家族』(NHK出版)がありました。入手は困難だったのですが、どうしても欲しかったのです。というのも、目次のなかに、「アサミ家の物語」というのがあったんです。すでに浅海さんとは面識があり、お祖父さんのことも伺っていましたから、もしかしたらと思ったのです。そんなことで頭を悩ますより、直接本人に聞けばよかったのですが…。(笑)

延江: まずは本を手に入れようと…。(笑)

近藤: はい。そこにお祖母さんの写真があるのですが、浅海さんに似ている。その後に…。

浅海: お教えしたというわけです。(笑)

橘田: そうだったんですか。(笑)

近藤: というわけで、浅海家はまさしく歴史の渦中にいたんですね。しかもお祖父さんは日布時事という新聞の…、

浅海: 編集長でした。で、これなんですがね…。

(※浅海さんが持参した『布哇同胞發展回顧誌』日布時事刊という大判の古書を見てみなが驚く。)

浅海: 1921年(大正10年)の本で、日本の古書店では4万円ほどするのですが、海外のオークション・サイトで2000円くらいで買えました。

近藤: ぼくもいま少し移民関連の本を集めているのですが、古い本はなかなか入手が困難だったり、高価だったりしますよね。そこでまだ該当の出版社が存在している場合は直接電話を入れて在庫を問い合わせたりしています。すると、結構な確率で入手できたりするんですよね。(笑)

橘田: そうなんですか。わたしもチェックしてみようかな。

浅海伸一氏
浅海さん

近藤: ぼくとハワイの出会いは、超お手軽です。(笑) 初めてハワイへ行ったのはいまから34年も前ですから、自分でも気の遠くなるような昔の話だなあと思います。(笑) 当時のホノルル空港はいまの国内線のところにあった小さな小さな建物で、取り付け道路も小さく、空港に来るのは乗用車とトラックが半々といった時代でした。その後10数年のブランクがあって、再度訪れたのは洞窟調査が目的でした。ハワイ島のヒロで国際学会があって、ビショップ博物館の篠遠先生などのスピーチを聴いたんです。火山国立公園のチーフ・レンジャーも洞窟探検家だったこともあって、マウナ・ロアでの洞窟調査を始めました。その後、足繁くハワイ島へ通いましたが、他のことにはほとんど関心がありませんでした。でも、トレイル脇の花に興味を持ったのをきっかけに、自然全般に興味が湧いたんですね。その後に最初の単行本(※『ハワイ・ブック』)を出しました。それから今日に至るまで、何らかの形でハワイに関わる仕事をさせていただいています。

第二部 神話の世界

近藤: 最初に延江さんを中心に、神話の世界について話を展開したいと思います。ではよろしくお願いします。

延江: 神話の世界とハワイの文化という構えた形ではなくて、思いついたところから話してみようと思います。 ハワイの神話と言ったとき、神話の中身そのものの話と、そのフレームワーク(枠組み)に分けることができるように思います。ハワイとポリネシア、ミクロネシアの神話と比較したときにどうなんだという観点からも話しができるかと思います。中身については同じところも違うところもあるが、明らかに異なるのはフレームワークの部分だと思うのです。 ご存知のように、イースター島には文字があったという話もありましたが、ポリネシアやミクロネシアの人々は文字を持っていない社会でした。神話とか伝説は口承で伝えられてきましたが、ハワイでは19世紀にそうした情報が一気に文字化されました。これが他の島々と大きく異なる点ですね。 19世紀ハワイに宣教師たちがやってきてアルファベットを伝えたのですが、ハワイ人の文字の吸収はとても早かった。ゼロからスタートしてたった30年ほどで世界有数の識字率を誇るまでになったのです。そうした背景もあって、歴史的に見ればほとんど一瞬のうちに伝統文化が文字として残されたということですね。でも、最初のうちは単に文字になったというだけで、整理はされていませんでした。やがてビショップ博物館を中心に整理が進み、いろいろな本が出版され、体系化されていきます。フォナンダーという神話・伝説のコレクターがいるのですが、彼をはじめさまざまな人が19世紀後半くらいから、ハワイに残っている神話とか伝説を文字にしていきました。この頃はまだ伝統を継承していた老人たちがいて、それを記録できたんですね。ポリネシアやミクロネシアの他の島々ではそうはいきませんでした。たとえば、米軍基地のあるマーシャル諸島では太平洋戦争後にアメリカ軍が金を出して無理矢理行っただけなんです。ハワイの文献は圧倒的に優れていました。

橘田: 神話はどんな人たちが残したのですか?

延江: 最初の文字は英語で書きとめられたんです。カメハメハ大王が死んで間もない頃、たまたまやって来た宣教師とか旅行者に近い人たちが紀行文として英語で書きとめたというのが最初でしょうか。すごいなと思うのは、19世紀中葉くらいからハワイのなかでネイティブの学者たちがどんどん育っていったことです。キリスト教的な観点が混入されているという批判もあるようですが、自ら書きとめる。サミュエル・カマカウとかデビッド・マロという人材が現れるんです。州立図書館のなかにとても大きなハワイ関連書籍コーナーがあって、ここはサミュエル・カマカウ・ルームという名前が付けられているくらいです。部屋の中にカマカウの肖像画があったりします。とにかく、現地の人間が自ら書きとめたという点が非常に重要なわけです。

近藤: たとえば20世紀の初頭にはエマーソンがフラの口承伝説を集めたりといったことがあったり、植物学の世界ではジョン・フランシス・ロックというのがいて、島々を巡って古老に植物名を訊いて歩くわけですよね。延江さんがおっしゃったように、この時代というのはハワイ文化に対する関心が盛り上がってきた時代だと思うのです。ただ、ひとつ気になることがあるんです。情報が急速にあふれた時代を生きてきたハワイの人々は一挙に英語文化に飛ぶわけです。このとき、彼らのことばはアルファベットに換わるのですが、失われたことばや表現はないのでしょうか? このとき文字はどのように処理されていったのでしょうね?

近藤

延江: ご存知かとは思うのですが、この時代の書籍というのは、本によって表現の仕方が違う。つまり統一がなされていないのですよね。ある本では「r」や「t」であったものが、別の本では「l」や「k」であったりする。発音記号もあったりなかったりします。時間をかけていまの形に集約されていったと思うのです。

近藤: ハワイ語の聖書をつくったハイラム・ビンガムは、どのような決まりに基づいてハワイ語を表記したのでしょう? たとえばフラということばは、いまは「hula」と綴りますが、当時は「hura」も存在していて、両方が使われていた。「Kamehameha」と「Tamehameha」もそうですよね。これというのは、聖書の出現によってハワイ語のアルファベット化が決定づけられたと考えるべきでしょうか?

延江: 明確に規定したというより、聞き取りを行いながら(発音に)できるだけ近いものにしようとしたのではないかと思います。これは本で読みましたが、カウアイ島とオアフ島では発音が違いますよね。

近藤: そうですね。

延江: 消えていったものがあるという見方もできますが、文字の出現によって多くのものが残されたと考えることもできます。このとき押さえておかなければならないのはラハイナ・ルナだと思うんです。よく言われるのは、この学校はロッキー山脈の西に初めてできた学校だということ。印刷所ができ、そこで聖書もつくられました。 ハワイでは(ハワイ語で)発行された新聞の種類が信じられないほど多いんですよね。それらの新聞に連載されることで、資料が蓄積されていったのではないでしょうか。19世紀の新聞のなかに残された神話はたくさんあって、それらが20世紀初頭に整理されていったのだと思います。

浅海: 人口が減っていって、次代に自分たちの文化を残さなきゃ、という危機意識はなかったのでしょうか。

延江: なるほど、そのようなこともあるでしょうね。

近藤: 人口のボトムというのは3万人台でしたよね。(※その後、外国人の血が混ざり合って100%のハワイ人は消えていく。)この頃、白人たちをパトロンとした、いわゆる御用新聞がずいぶん出現しましたが…。それらとの絡みは?

延江: 英字紙はいろいろあったでしょうね。でも、ハワイ語新聞も数多くありました。

近藤: 代表的なものとしては、どのようなものがあったのですか?

延江: カ・ラマ・ハワイ(Ka Lama Hawaii)でしょうか。(※1834年2月から12月まで刊行されたハワイ語新聞。「ハワイの光」の意。)この新聞は希望すれば縮刷版を読むことができます。

ハワイ州立図書館
ハワイ州立図書館

橘田: それは全部ハワイ語で書かれているんですか?

延江: ええ、そうです。雨後のタケノコのようにハワイ語の新聞が出現するんです。

浅海: それは島ごとに?

延江: いえ、もちろん最初はマウイのラハイナですが、あとはおもにオアフ島ですね。

近藤: それらはどのような人が購読したのでしょう?

延江: いわゆる知識層ということになっているんですが、ハワイの人たちの識字率が上がっていったので、ハワイの人たちもかなり読んだのではないかと思われます。

近藤: でも、識字率が上がったのは1880年代以降ですよね?

延江: いや、もうちょっと前で、カメハメハ3世の頃でしょうか。よく引き合いに出されるフレーズですが、「1850年には世界有数の識字率を誇るようになった」といわれています。

近藤: 3世の時代は、小学生の識字率が向上したのであって、大人の世代ではありませんよね?

延江: そうですね。詳しいことはわかりませんが、1830年代には義務教育も始まっていますから、もう少し上の層を含んでいたかもしれません。

近藤: その時代にほとんどの人が新聞を読んだという設定だとしても、ずいぶん多くの新聞が発行されたものですね。

延江: たしかに種類は多かったのですが、発行部数は微々たるものだったのではないでしょうか。

近藤: …というより、そんなに多くの輪転機があったのかなと…。

延江: なるほどね。

近藤: 新聞としては小規模でも、ミニコミ誌よりはしっかりとした新聞を出す伝統はいまもハワイに残されていますが、当時、新聞社すべてが輪転機を使えたのでしょうかね?

延江: 輪転機は結構あったようです。少なくともオアフには何カ所かあったようです。

近藤: なるほど。

延江: ほかの島々と違い、神話が多く残された素地かなと思います。

近藤: 延江さん的には、ハワイの人たちは他の島々の人たちと資質的に異なるところがあると思いますか?

ハワイ州立図書館
州立図書館内の、通称カマカウ・ルーム

延江: とくに違いはないのではないかと思います。ハワイの19世紀というのは、幕末の日本のように、エネルギーを発散した人がたくさんいたのではないでしょうか? その伝統がいまも脈々と受け継がれているかというと、残念ながらそうでもないみたいですが…。

橘田: 当時のハワイ語新聞はカハコーとかオキナをちゃんと使っていたのでしょうか?(※カハコーは長母音を表す記号で、ローマ字の「-」のようなものを母音の上につける。オキナ「ʻ」は母音と母音を区切る役割を果たすもので、オキナのあるなしで単語の意味が異なる。)

延江: いいかげんだったようです。一応、使われてはいましたが…。

近藤: エマーソンの本(※Unwritten Literature of Hawaii)でも、カハコーやオキナはあったりなかったり、記号が異なっていたりしていますね。

橘田: いつ頃からそれらの発音記号が使われはじめたのでしょうかね。

延江: 宣教師が入って来て西欧文明化されたのと並行してハワイ文化の否定が起きます。だから、しっかりとした文法体系が確立したのはごく最近のことだと思うんです。

近藤: ハワイアン・ルネッサンスの勃興した1970年代以降ですね。

延江: そうですね。

近藤: カメハメハ・スクールなんかがその役割を果たしてきましたね。

橘田: わたしはいろいろなものが整理されて作られたのかなと思ったんです。

近藤: フランス語の記号を代用するとか、いろいろな試みが20世紀初頭からはありました。でも、近年に大きな影響力をふるったメアリー・プクイなんかもあまり使っていない。もしかしたら印刷所が対応していなかったのかも…。(笑)

橘田: オキナはハワイ語の特徴だと聞いていますが、そこのところはどうなんでしょう。

近藤: 島によって発音は微妙に異なります。オキナのあとの母音をどの程度はっきりと、あるいは強く音にするかという点で、島によって違いはあったのだと聞いています。

浅海: なるほど。

延江: カウアイ島とハワイ島の場合は大きな違いがありますよね。

橘田: 方言のようなものかな?

近藤: たとえば、ハーラウ・フラで「アラカイ」ということばは、カウアイ島では昔、クム(師)の代理という意味でしたが、ハワイ島ではハウマーナ(生徒)の代表であるという意味で使われていました。

プウ・コホラ・ヘイアウ(ハワイ島)

延江: そもそもは島ごとに独立国だったわけですからね。

近藤: その一方で、情報伝達は早かったですよね。

延江: その辺は社会制度の面もありますよね。

近藤: アリ・イ・ヌイ(大首長)やカフナ・ヌイ(大祭司)との力関係などはどのようなものだったのでしょうか?

延江: ハワイの社会制度はもとは非常に緩やかなものだったと言われています。そこにサモアから渡来したパアオという大祭司が非常に厳格な規律を普及させたと言われています。当時でいうところの近代的な社会制度がハワイ島を中心に定着していくんですね。その影響はハワイ島から遠いカウアイ島やニイハウ島までは、もしかすると及ばなかったのではないかなと思います。

近藤: だんだん深い話になってきましたね。(笑)

橘田: ほんとうに深いですね。(笑)

近藤: ではこの辺で、枠組み(フレームワーク)の話から、中身の話へ移ろうかと思います。

延江: ハワイに特徴的と言えば、火の女神ペレではないかと思うのです。ペレというのはハワイに限定的なことばではなくて、ポリネシアでは火山や溶岩を指すことばとして用いられてきたのですが、ハワイで大きく育ったのではないかと思います。それはハワイ島の火山活動があってこそだと思います。 あと、ポリネシアの4大神、つまりクーとカーネとカナロアとロノですが、これの優先順位はハワイに持ちこまれてちょっと変わったりはしていますが、(この4大神信仰は)ポリネシア共通のフレームワークで考えていいのではないかと思います。あと、共通という意味では(半神)マウイと母ヒナを中心とした神話があります。ちょっと面白いのは、ミクロネシアやポリネシアでは動物や魚などを中心とした神話が多いのに対し、ハワイは人に関する神話が圧倒的に多い。民間人のなかではもしかすると動物などもあったかもしれませんが、王朝ではそのようなものがなかったのかもしれませんね。

近藤: 王朝がいかなる動物も神話的対象としなかったというのも特異ですね。ふつうエジプト王朝だとか、アステカ文明だとか、持っているものじゃないですか。ハワイではなぜなかったのでしょう?

ワイアレ滝(ハワイ島)

延江: たしかにそうですね。シンボルという意味では持っていませんが、守護神としては一般民衆は持っていました。でも、王家はそれらも4大神だったりする。

近藤: ハワイの信仰にはキノラウ(化身)が欠かせませんが、人は動植物の何にでも変身するわけですから、わざわざ動物を持ち上げることはないということなのでしょうか。

延江: そうかもしれませんね。普通は王家が滅びるとそれにまつわる神話も滅びてしまいますが、ハワイの場合はそれらがごっそり残されたので民間伝承的な動物神話がかすんでしまったのかもしれません。

近藤: たとえばカモホアリイはサメの神さまですが、サメではなくて、サメにもなりうる神さまですし、カマプアアはペレの夫として知られていますが、本性はブタかもしれないが、基本的には人間と同じような姿をしている。動物そのものということはほとんどありませんね。

浅海: ハワイはタイミングがよかったということでしょうかね。

延江: ええ。でも、ポリネシアもミクロネシアも、16世紀から18世紀にかけて西欧世界との出会いを経験していますよね。

浅海: そうですね。

延江: 彼らはまたたく間に征服され、脈々と築き上げられてきた文化はそこで終わりになってしまうわけです。でも、ハワイでは列強に囲まれながらもかなり長い期間王朝が残ったという点が重要なんです。

近藤: そこは大きいですよね。

延江: わたしは、カメハメハ大王が偉かったのかな、と。彼はカリスマ中のカリスマだったからではないでしょうか。

近藤: ふつう侵略者というものは現地の民を殺してそこをのっとるという形を採りますよね。スペインのアステカやマヤ文明に対する対処がそうでしたし、イースター島もそうでした。しかし、イギリスという帝国は地元の民を活かして最終的な利益だけを吸い上げようとすることが比較的多かった気がします。

延江: たしかにそうですね。

近藤: 東インド会社はその最たるものですよね。ハワイの場合で言えば(英国海軍の)クックですが、クックはすぐに死んでしまいますが、その後に(クックの部下だった)バンクーバーなどが暗躍しています。カメハメハに諸島を統一させ、その後ろで彼を操っていた方が何かと便利だという考えはなかったのかなと思います。事実、その後の白檀貿易や、引き続くサトウキビ産業でも英国人と米国人が圧倒的な影響力を持って動きますよね。

浅海: 徹底的に搾取してしまうのが果たして得策なのかと…。

延江: ハワイは実に素晴らしいバランス外交、駆け引きというのに長けていたことが、100年というわずかな期間ではあっても王朝を生き延ばせた原動力になっているのではないでしょうか。

橘田: なるほど。

ウポル(ハワイ島)

浅海: 前々から知りたかったことがあるのですが、(ハワイ創世神話の)クムリポというのがあるんですが、ぼくはこれは西欧文化の影響を受けていると思うのですが、いろいろ神話を読まれてきたなかで、延江さんはどの程度、このなかにハワイ本来の思想が含まれているとお考えですか?

延江: わたしはキリスト教の影響はそれほどないのかなと思っています。英語の文献ではベックウィスの『Kumulipo』がありますが、彼女はクムリポの全文を研究書としてまとめています。わたしはこの本をベースにしているのですが、口承として残ってきたものを文章としてまとめるとああいう美しい形になるのかなと思っています。クムリポ以外にも、メレとして数々の神話や叙事詩が残されていますが、その究極がクムリポという、芸術性を極めた最終形になるのかなと思います。

近藤: たしかに、クムリポは王から王へと語り継がれるもので門外不出だったと言われていますよね。でも、あの時代と、あれが世に顕された経緯を考えると、だいぶ気をつけなければいけない点があると思うんですよ。クムリポはカラカウア王が発表する前に、ドイツの学者がヨーロッパで発表しているのですが、このとき彼は、日本の日本書紀に匹敵する人類史上の重要資産だと喧伝しているんです。ご存知のように、クムリポには日本書紀だけでなく、旧約聖書や進化論など、当時話題となっていたあらゆる学説が巧妙にブレンドされているとも見えます。その辺がクムリポの信頼性を殺いでいる気はします。

橘田: フラのなかには神話がたくさん入っていますが、フラの歌詞にはカオナという裏の意味がたくさんありますよね。神話のなかにもカオナのようなものはあるんでしょうか?

延江: 確実にありますよね。わたしは英語でしか読めませんが、その基はハワイ語ですよね。それらは必ずカオナを持っていると思うんですよ。

橘田: プライベートなことなので見せないようにする。

延江: 卑猥な意味や、政権を揶揄するような意味も入っていて、カオナを探ると、まったく別の意味になっていることさえある。そう言う意味でカオナというのは面白いですね。

橘田: 他の国でもあるものなんでしょうが。

近藤: 日本を含め、タブーのある社会では必ずあると言ってもいいですよね。でも、ハワイは突出して多いのかもしれません。

延江: カオナはパーソナル(個人的な)世界のものがかなり多い気がします。

浅海: たしかにそうかもしれませんね。

延江: 有名なのは、カメハメハ大王の墓はどこにあるのかというのを、カオナに込めたのではないかというのがありますよね。たぶん二重三重の意味になっていているのでしょうね。(注:大王の遺骨を、普段は海中に没している洞窟に密かに隠した重臣ホオルルは、その2ヵ月後に生まれた自分の息子に「Kai he'e kai(直訳すると、海+イカ+海)」という名前をつけましたが、この名前がその場所を暗示しているという説があります)

橘田: 暗号みたいですね。(笑)

近藤: まさしくそうですね。(笑)  ではこの辺でまとめたいのですが、最後に今日のハワイにおける神話の意味をお教えいただけないでしょうか。

延江: もちろん現地の感覚はないのですが、たとえば(ハワイ島ヒロの)プナナ・レオという、ハワイ語を軸にしたハワイの伝統文化の教育啓蒙組織があるのですが、そうした活動が現地で受け容れられている。自分たちのアイデンティティを大事にしていこうよという方向の中で、神話は、「自分たちの神話」という意味で象徴的な位置づけにあるのではないでしょうか。

(※第二部終了)

以下、「第三部 フラの世界」と「第四部 ハワイの日本人移民」については、次回にお伝えする予定です。


「ハワイの神話と伝説」ホームページ
(延江氏主宰)
ハワイの神話や伝説に限らず、歴史や文化などについても、わかりやすく説明しているサイトです。
「ハワイの神話と伝説」


「HULA Leʻa」ホームページ
(橘田氏)
フラやハワイの雑誌「HULA Leʻa」のホームページ。ハワイ&フライベントや、カルチャー・セミナーを開くなど、多彩な活動をしています。
「HULA Leʻa」

  「布哇文庫」ホームページ
(浅海氏主宰)
近日再オープン

ハワイBOX フラの本

近藤純夫さんによる「フラの本」が2006年10月28日に発売されました。

「フラの本」では、フラの起源となる神話や歴史、フラの種類や楽器、ハワイ語などが、霊的なエネルギーが秘められたハワイの大地や植物、そしてそれを伝えるフラを踊る人々の写真と共に紹介されています。フラを習う人にはもちろん、ハワイの文化に興味がある人にもぜひ読んで欲しい1冊です。
アロハ・ブックシェルフで詳しくご紹介しています


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