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大航海時代の探検家たち(4)
近藤純夫

フレシネ

 フレシネ(*1)は、フランスのモントリマールに生まれ、1801年から1804年にかけて兄のルイ・アンリとともに、ボーダンやアムランの探検航海に随行しました。13年後の1817年9月、彼は南フランスのツーロンからユラニー号(*2)という船で探検航海に出ます。同乗したのは、動物学者のジャン・ルネ・コンスタン・コワとジョゼフ・ポール・ゲイマール、植物学者のシャルル・ゴディショ・ブープレ、それに画家のジャック・アラゴたちです。のちにコキーユ号を指揮することにもなるデュプレも士官として乗船しましたが、なんと言ってもいちばんユニークな乗員は、男装して船に乗り込み、男勝りの活躍をした新妻のローズでしょう。彼女は友人宛てに航海日記を書きつづけ、その記録は後に出版されました。

*1 Louis Claude de Saulses de Freycinet (1779-1842)
*2 幾何学と天文学の詩神であるユラニーにちなんで命名されました。

 航海の目的は南太平洋での科学的な調査でした。一行はまずツーロンからジブラルタルにかけ、地中海に生息する生物調査を行いました。2ヶ月後の11月にはカナリア諸島のテネリフェ、12月にはブラジルのリオ・デ・ジャネイロに到着します。彼らは町の近郊で植物や鳥類、哺乳類の採集を行いました。

リホリホの臣下であったクライモクウの家

 1818年1月に同港を発ち、大西洋を横断。3月にはケープ・タウンに着きます。コワはここで新種の魚や軟体動物を発見し、ゲイマールはアホウドリの観察を行いました。ケープ・タウンには1ヶ月ほど滞在しましたが、このとき、前回紹介したコツェブーとシャミッソーが乗るルーリック号に出会い、シャミッソーはユラニー号を表敬訪問しています。

 1818年4月に同港を発ち、翌5月、モーリシャス諸島ポート・ルイス(イル・ド・フランス)に着きます。学者たちはここで7000種以上もの昆虫や甲殻類などを採集し、これをパリの自然史博物館に送りました。

Moraiと呼ばれた聖なる場所。祭儀や葬儀が行われた。

 1818年9月、オーストラリア西岸のシャーク湾に着きます。ここではフクロネズミなどの有袋類を捕獲しています。その後、チモールとモルッカ諸島に向かいます。10月にチモール島のクパン湾に入り、動植物を採集。次にディリへ向かい、ここでコワは、後にフレシネトビハゼと名づけられたトビハゼの一種を発見しました。

 1819年3月、一行はマリアナ諸島のグァムに到着します。彼らは6月まで採集を行った後、8月にはサンドイッチ諸島(ハワイ諸島)に到達し、クックと同じくハワイ島のケアラケクア湾に錨を下ろしました。ここで物資の補給を図ろうとしたのですが、運の悪いことにサンドイッチ諸島はカメハメハ1世が死去した直後だったため、当時の慣習に則って王宮は焼かれ、飼っていたブタもすべて生け贄として焼かれてしまいました。そのため、彼らは十分な食糧を得ることができませんでした。このとき、カメハメハ2世となったリホリホの臣下のひとりが彼らの前に進み出て、キリスト教に改心したいと申し出ています。

羽毛のケープと冠を身にまとった兵士

 学者たちは、クックの航海で記録されていたハワイミツスイなどの鳥たちを捕獲しようとしましたが、クックが同島を訪れてから20年ほどしか経っていなかったにもかかわらず、鳥たちの多くが絶滅したか、絶滅の危機に瀕していました。

 月末にサンドイッチ諸島を出航した彼らはオーストラリ経由で帰国の途につきます。彼らはこのときにナビゲーター諸島(サモア諸島)を発見します。フレシネは妻の名を取って島のひとつをローズ環礁と名づけました。

 1819年11月、シドニーに着きます。一行は近郊の山で鳥類や植物の採集を大量に行いました。このなかにはコクチョウや白いトキ、ウなどが含まれていました。なかでもムシクイの仲間はたいせつに飼われ、フランスに戻るとパリ自然史博物館に寄贈されました。

フラを踊るマウイ島の女性

 翌12月にシドニー港を出航し1820年2月にフエゴ島に到着します。その後、フォークランド諸島で嵐に遭遇して難破し、多くの博物学資料を失ってしまいました。彼らはこの島で調査を行い、とくに植物では多くの成果を挙げています。そのときの結果は、のちに『フォークランド諸島の植物』と題した本にまとめられました。

 1820年4月にアメリカ船籍のマーキュリー号に出会い、これに同乗してモンテビデオまで行ったフレシネは、ここでマーキュリー号を買い取り、船名をフィジシエンヌ(科学者)号と名づけました。その後リオ・デ・ジャネイロに碇泊し、9月に祖国へ向かいました。

フレシネの『世界周航録』

 1820年11月、ユラニー号はフランスのル・アーブル港に帰還します。持ち帰ったさまざまな博物学資料はキュビエやアラゴ、ゲイ・リュサック、フンボルトたちによって整理されました。発表された成果には、25種におよぶ哺乳類の新種をはじめ、313の鳥類(新種44)、45種の爬虫類、164種の魚類が含まれていました。ゴディショの植物コレクションも3000種におよび、そのうち200種は新種でした。

 フレシネたちの行った探検航海は、新島の発見という視点からはあまり見るべきものはありませんでしたが、博物学的には大きな成功を収め、以後、フランスは博物学界において大きな影響力を持つことになったのです。ジャック・アラゴは1822年に『世界周航の旅』を出版し、1824年から12年間かけて全6巻からなる航海記録が出版されました。

次回はヤシの木の世界(1)と題してココヤシを取り上げます。

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