ハワイの自然、文化、歴史がテーマのアロハWEBカワラ版
目次
【バックナンバー】
特集:知る・歩く・感じる
キルト・パラダイス
ハワイ日和
ミノリのカウアイ日記
アロハ・ブックシェルフ
ハワイ・ネットワーク
新定番!ハワイのおみやげ
スタッフルーム
アロハ・ピープル
フラ・ミュージアム通信
【ホクレア号】
ホクレア号横浜到着
ホクレア号での航海生活
ハワイの食卓
スタッフのいちおしハワイ
ハレピカケ倶楽部
アロハ・コラム
パワー・オブ・ハワイ
私のフラ体験
ハワイ日系移民の歴史
アストン・ストーリー
>アイランド・クローズアップ
ハワイ島編
マウイ島編
ホロホロ.ハワイ
カワラ版 トップページ
バックナンバー
クリック!
 
RSS1.0
フラ(2)
近藤純夫
19世紀のフラの風景

ハーラウの変化

 フラは最初ハーラウ・ワ・ア(カヌー小屋)のようなオープンな場所で練習をしていましたが、やがて専用の小屋を持つようになりました。フラの指導者であるクム・フラはハーラウをカヌー作りとは異なる聖なるものと考えたため、カフナ(神官)のお告げに従って浄められた場所に建物を建てることにしました。それは森の奥の、人の往来が少ない場所であることが多かったようです。

 その理由のひとつは、周囲に雑音がなく、修行に集中できることがあります。フラは踊りであるとともに信仰表現のひとつでもありましたから、精神の集中は欠かせないことだったのです。関わりのない人たちから隔離することで、規律を守り、信仰を深めることができると考えたのでした。

上半身は裸、またはレイのみで行われた伝統フラ

 理由の2つ目に技術の囲い込みがあります。アリ・イ(首長)やカフナは自分の配下にあるフラ集団の人気が高ければ首長としての人望も高まると考え、優秀なフラ集団の奥義が他に洩れることを畏れたのです。ハーラフ・フラのクムもまた、自分が編み出した教授法を他のハーラウに真似られることを嫌った可能性もあります。そのため、当初のハーラウ・フラはハーラウ・ワ・アと同じように前後の壁や覆いのない作りでしたが、ハーラウに注目が集まるにつれて情報の囲い込みを行うようになり、建物の四方を壁で取り囲んで外から内部が見えないようにしました。

 初期のハーラウでは、選ばれた少年のみが数年の歳月をかけてフラを体得しました。彼らはハウマーナ・フラ・カプ(聖なるフラを修得する弟子)と見なされ、精神的にも肉体的にも厳しい修練を積んだのです。ハーラウには、絶対的な権威を持つ教師のクム(クム・フラ)、クムの助手として働き、クムが不在のときは代理をするコークア(コークア・クム)、生徒の世話役的存在のアラカイ(カーコオ)などによって構成されました。

フラの記録

 フラはゼロから自然発生的に生まれたわけではありません。その原型となるものがあったのです。ハワイに住みついた人々は主にマルケサス諸島やタヒチからやって来ました。つまり、その土地の文化や信仰に基づくさまざまな風習を継承してきたのです。フラもその例外ではありませんでした。

欧米の宣教師などによって着衣を命じられた頃のフラ・ダンサー

 ポリネシアから持ちこまれた踊りはハワイの風土に育まれ、フラという形をとって人々の間に広まりました。フラは神々と人を結びつける重要な儀式でしたが、同時に、庶民の娯楽でもありました。フラはポリネシアに広く根づいた「踊り」を、ハワイに根づくさまざまな事柄に深く結びつけ、やがてハワイ独自の文化へと昇華していったのです。フラはそのような歴史を経て進化をつづけ、豊かな表現と高度な技術を備えた芸術へと変貌していきました。

 ハワイ独自の文化であるフラが最初に外国人によって記録されたのは、ハワイへ立ち寄ったキャプテン・クックによるものでした。クック船長は住民がフラで歓待してくれたときの出来事を次のように書き残しています。「わたしたちが見た唯一の楽器(と言えるもの)は、大皿のような木の器と二本の棒を使ったものだった。彼らは長めの棒をバイオリンのように持ち、短めの棒で叩いていた。このとき足で木の器を叩いて拍子を取った。演奏がはじまると女性たちが歌を歌った…」

娯楽としても重要な表現手段だった

  フラが人々の間に深く浸透すると、人気のあるハーラウはアリ・イ(首長)のお抱えとなって、多くの優秀な踊り手(オーラパ)を育て上げました。彼らは島々を巡って人々にフラを見せたのです。このときのフラは、信仰に基づく神聖な形式のものだけでなく、王を称えたり、庶民に人気のあるコミカルなものもありました。クックの後、19世紀初頭にハワイを訪れたフランスの詩人で博物学者でもあったアデルベール・シャミッソーは、男たちの踊りがきわめて高い芸術性を持つと、手記に書き留めています。

アウアナとカヒコ

 フラは大きくアウアナとカヒコに分けられます。 カヒコには「古い」「原初の」「はるか昔の」といった意味があります。「ハーラウ・フラで学び、女神ラカをはじめとするハワイの神々に捧げられる神聖な儀式に基づくもの」というのがカヒコの基本概念です。フラを習得するには深い信仰心を持ち、チャントや楽器、伝統文化なども学ばなければなりませんでした。

 カヒコということば自体は古くから存在していましたが、広く使われるようになったのは1970年代のことで、それほど古い歴史があるわけではありません。カヒコはそれ以前にも存在した伝統的なフラの総称として、フラ・マスターのジョージ・ナオペなどによって提唱されたものです。

 カヒコ(伝統的な)フラには踊りだけでなく、用具(楽器)や歌詞にも高度に洗練された伝統文化が織り込まれています。神話や文化的な意味合いをもつものをはじめ、自然を謳ったものや、オープンでセクシャルな意味合いのものなど、あらゆる文化がそのなかに込められています。

コミカルな表現も伝統フラのひとつ

 アウアナには「(旧来の形式から)解き放たれた」という意味があり、新しいスタイルのフラを意味しますが、「横道にそれる」とか「迷える」という意味もあるので、伝統とかけはなれた現代的なフラに対する皮肉が込められていると主張する人もいます。しかし、フラは伝統的なもの以外にも多くの様式があったわけですから、アウアナも新しい解釈のフラとして認められるべきでしょう。

※次回は古いフラにはどのようなものがあったかをお話しする予定です。
トップページの画像はハレマウマウ・クレーターでのカヒコ・フラです。


ポリネシア・カルチャー・センター

ポリネシア・カルチャー・センターは、ポリネシアの伝統と遊びが半日で楽しめるテーマパークです。フラ・レッスンやレイメイキングが体験できる「ルアウ・ワークショップ・パッケージ」やポリネシアのゲームや釣りなどで大人から子供まで楽しめる「ファミリー・パッケージ」がおすすめです。
ポリネシア・カルチャー・センター

【ハワイの文化】
 ペトログリフ 2003年6月19日
 ハワイの楽器 (1) 2003年8月7日
 ハワイの楽器 (2) メレとフラ、イプ 2003年8月21日
 ハワイのことば (1) 2004年3月18日
 ハワイのことば (2) 2004年4月1日
 ポリネシア・カルチャー・センター 2006年10月5日
 > その他の特集は、こちらの「バックナンバー」からご覧いただけます。

個人情報保護の方針 クッキーの利用について
Copyright (C) 2002-2003 PACIFIC RESORTS.INC., All rights reserved.