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ハワイアンシャツの歴史(1)
近藤純夫
タパをまとった女性のデザイン画

伝統衣類

 先住のハワイ人は諸外国と接触を持つまで、カパ(タパ)と呼ばれる樹皮を加工した布地を使用していました。ふんどしのようなデザインのマロと呼ばれる衣類は男性が、腰に巻くデザインのパーウー(パウ)は主に女性が使用しました。

 カパは衣類としてだけでなく、毛布や敷物としても利用されました。さまざまな染色が施され、美術品的な意味合いも兼ね備えていました。黄色の染料は勝利を、赤は勇気を、白は神聖を表すという説もあります。カパは見た目だけでなく、肌触りや耐久性においてもきわめて優れていました。

 18世紀末に西欧人が訪れて以降、半裸に近い女性に着衣の習慣を身につけさせるため、宣教師の妻たちはハワイ人女性に裁縫を教えました。このとき「ホロ(縫う)」、「クー(止まる)」を繰り返し唱えたため、作ったドレスをホロクと呼ぶようになりました。このホロクは後のムームーの原型ともなります。

パラカの基本デザイン

移民と作業着

 19世紀に入ると、ハワイにはサトウキビ産業に従事する労働者が続々と各国からやって来ました。彼らは農作業に適した作業着を支給してもらえなかったため、独自に工夫を凝らしました。このなかにパラカと呼ばれる作業着がありました。パラカはハワイの気候を考え、裾をズボンのなかに入れずに支障なく作業をするため、幅も丈もゆったりとした作りになっていました。素材として用いられたのは絣の着物など、比較的丈夫なものです。その後、市松模様や絣のデニム製パラカは、ハワイの標準作業着ともいうべき地位を確立していきました。

 パラカには原型があります。アメリカの開拓者たちが着ていた1000マイルシャツ(Thousand-mile shirt)と呼ばれるシャツです。酷使に耐えられるこのシャツはズボンの上に出して着ました。1000マイルシャツは最初に中国人移民が着はじめ、次にハワイ人や日系移民も着るようになりました。

アヒナと呼ばれた作業着

 当時の日系移民がパラカを愛用したのは、比較的地味な色合いとデザインに、絣のイメージを重ね合わせたからではないかと言われます。これらはほとんどが手作りでしたが、その後、1922年になると着物を流用した既製品が登場します。もっとも、着物は当時の現地では極めて貴重なものであり、なおかつ遠い異国の地では大切な思い出の品でした。そこで彼らは綿や縮緬の着物、つまりは浴衣地のようなものを多く利用しました。浴衣地は白地に藍色や朱といった落ち着いた柄が多かったため、初期のシャツはほとんどが地味なデザインでした。

 サトウキビ産業が安定期を迎えると、作業着だけでなく、普段着にもハワイ独自のスタイルが誕生しはじめます。浴衣地やシルク、ろうけつ染め、レーヨン地の着物、生糸そのものなどを日本や合衆国本土から取り寄せ、オリジナルのシャツを作ったのです。これが後のハワイにおけるシャツのスタンダードとなり、今日、ハワイアン・シャツと呼ばれる原型となりました。これらのシャツは当時多くの市民に支持されました。

(左)からパラカ、アヒナ、センスジ。センスジは高級な綿製のジャケット。縞が千あるものをセンスジ、万あるものをマンスジと呼んだ。アヒナより重く丈夫で、キャンバス地より少し軽い。

アロハ・シャツの誕生(ムサシ屋とエラリー・チャン)

 パラカの誕生と前後してムサシ屋商店やエルシー・ダースといった仕立屋の経営するハワイアン・オリジナル・シャツが世に出はじめます。パラカをアレンジした今日のハワイアンシャツの原形ともいうべきシャツを売り出すようになったのです。彼らのシャツには浴衣地ばかりでなく、メインランドで大量生産されるプリント地も使用されました。

 アロハシャツということばは、1930年代初期にこれらの仕立て屋が作った東洋とハワイのテイストを織り込んだデザインのシャツに対して用いられたのが最初だとされます。やがてムサシ屋が1935年6月29日発行の「ホノルル・アドバタイザー」紙に「アロハシャツ」の広告を載せ、この名前が定着していきました。

エラリー・チャン

 アロハシャツの誕生には別の説もあります。同じ「ホノルル・アドバタイザー」紙は、キング・スミスという生地屋のエラリー・チャンが「アロハ・シャツ」という名前を最初に使用したと書いています。彼はその後、1936年7月15日にこの名前を商品登録していますが、正式な名称は「アロハ・スポーツ・ウエア」であって「アロハ・シャツ」ではありません。彼は製造元のウォングス・プロダクツやムサシ屋商店を通じて大量生産を行い、ロイヤル・ハワイアン・ホテルなどで販売しました。

 ハワイアンシャツのデザインは日本の浴衣柄のものや、ポリネシア調のものが大半でした。ハワイではそれまで作業着以外に大量生産されるものはなく、趣味性の強いものはほとんどがテーラーメイドや自家製だったこともあり、ハワイアンシャツの登場はとても新鮮だったようです。この時期に誕生して現在に至る専業メーカーとしては、カメハメハ衣料店やブランフリート(後のカハラ)などがあります。

トップページの写真はココ・パームスでプレスリーの話をするハワイアンシャツを着た男性です。次回は「ハワイアンシャツの歴史(2)」をお届けする予定です。

 

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