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タヒチ(Tahiti)
近藤純夫
ティキ・ビレッジで行われたタヒチアン・ダンス(オテア) M.Kitta HULA Leʻa

 文字のなかったポリネシア社会には、ハワイ人の先祖とはだれかということについての記録は残されていません。しかし、ハワイのことばをはじめ、継承されてきた多くの風俗習慣や宗教思想などから、彼らの先祖は、およそ1500年前(紀元500年)にマルケサス諸島から渡来した小集団と、それからさらに500〜600年ほどを隔ててタヒチから渡来した大規模な集団だということが判明しています。そこで今回はタヒチに残された伝統を見ていくことにします。

ポリネシア人の進出

ベルベデールの展望台から見た光景(モーレア島)M.Kitta HULA Leʻa

 ポリネシア人はサモアを基点に東へ進出していきましたが、どの島を経由してタヒチに到達したかについては諸説あります。ビショップ博物館の篠遠説によれば、彼らの先祖は紀元300年頃にサモアからマルケサス諸島に到達し、その後、マルケサスを基点として、紀元400年頃にイースター島(ラパ・ヌイ)へ、紀元500年頃にハワイ諸島へ、そしてタヒチを含むソサイエティ諸島へは紀元600年頃に到達したとされます。ちなみに、マオリ族の住むアオテアロア(ニュージーランド)への到達は紀元800年頃と推測されます。(*1)前回もお話ししましたように、彼らは高度に発達した長距離航海術によって、小さなカヌーを操りポリネシアの島々を発見していきました。

*1: ポリネシア人の先祖は西から東へほぼ順に到達したのではないかという学説も、最近は支持されるようになっています。

 移動の際に持ちこんだ生活装備も長期間にわたってあまり変わることはありませんでした。ブタ、イヌ、ニワトリといったタンパク源と、パンノキやサツマイモ、タロイモ、ヤムイモ、バナナ、ココヤシなどの穀類や果肉類などです。植物については、食糧としてだけでなく、薬、染料、建材、容器など、さまざまな用途に使われました。ポリネシアの文化はきわめてよく似た動植物によって社会を構成していたのです。

初期のタヒチ社会

タヒチ島にあるマラエ(マラエ・アラフラフ)M.Kitta HULA Leʻa

 サモア文化に似た初期のタヒチ社会は厳しい戒律を伴った階級社会で、その頂点に立ったのはアリイ・ヌイ(アリイ・マロウラ)でした。ハワイ社会のアリイ・ヌイ(大首長)とほぼ同じ性格で、彼らは神の子孫と信じられていました。アリイ・ヌイの権力の象徴とも言えるのが、ハワイのヘイアウに相当するマラエ(祭壇)でした。アリイ・ヌイの下にはアリイ・リイと呼ばれる上流階層があり、彼らは小規模ながら領地を所有していました。おもしろいのは、罪人や反乱者が彼らの領地に逃げ込んだときは保護する制度が一部にあったということです。これはプウホヌアと呼ばれるヘイアウの性格と良く似ています。

 アリイ・リイの下にはフィ・ラーティラと呼ばれる中間階級がいました。彼らはアリイ・リイの領地を管理するとともに、最下層にあたるマナフネ(平民)との間を取り持ちました。マナフネについては、カウアイ島を中心にさまざまな神話が伝えられるメネフネを想い出させます。以上はいずれも世俗の階級ですが、これ以外にアリオイと呼ばれる聖職階級がありました。ハワイにおけるカフナ(祭司)のような存在です。アリオイは一定の修行を経てなるものでした。アリオイの頂点に立つのはタフア(タファ)と呼ばれました。こちらはカフナ・ヌイ(大祭司)に近い存在で、発音もカフナに似ています。マラエでもハワイのルアキニ型ヘイアウと同じく人身御供が行われましたが、ハワイにおける人身御供の風習は、タヒチから直接持ちこまれたのではなく、サモアから渡来したパアオという高僧によって広まったとされます。

タヒチアン・ダンスとフラ

ティキ・ビレッジの男性によるダンス(オテア) M.Kitta HULA Leʻa

 ハワイのフラが宗教的な表現から発達したように、タヒチアン・ダンスもかつてはアリオイによって踊られる宗教儀式のひとつでした。踊りのなかにはセクシャルな表現もあったようで、この点もかつてのフラと似ています。この背景には、アリオイたちの、性的に解放された生活があるとされています。タヒチアン・ダンスはまた、戦いを告げたり勝利したときやマラエにおいても重要な儀式のひとつでした。

 フラと同様、タヒチアン・ダンスも19世紀初頭に宣教師たちによって禁じられました。断ち切れそうになった伝統を復興させたのはマドレーヌ・モウアという人物でした。最大のダンス・イベントであるヘイヴァ・イ・タヒチを立ち上げたのも彼女の功績です。今日、この祭典はハワイのメリー・モナークと並び称されています。

 タヒチアン・ダンスには大きく分けてオテアとアパリマの2つがあります。オテアは、男性はつま先立ちになって膝を閉じたり開いたりする点が、女性は激しく腰を振る点が特徴です。モレと呼ばれる木の葉や樹皮でできた衣装を身につけ、パフやトエレといった太鼓で拍子を取りながら踊ります。合いの手が入ることはありますが、歌はありません。アパリマは優雅な身のこなしが特徴です。ちなみに、アパは「演ずる」、リマは「手」を意味します。フラが手の動きでさまざまなものを表現するのによく似ています。かつてはフラ・ノホと呼ばれるスタイルと同じく、座って演じられ、歌は伴いませんでしたが、現在は立ったまま歌とともに踊られるようになってきました。

モーレア島の海辺 M.Kitta HULA Leʻa

 この他にパオアと呼ばれる踊りの形式もあります。パオアは踊り手の姿勢や人数、楽器の有無などでさらに細かく分かれます。リズムに関してはさらに多岐に分かれており、その種類は1000を越えるという説もあります。

タヒチとハワイと西欧文化

 タヒチとハワイの近代史は驚くほどよく似ています。タヒチを最初に訪れたのは英国のサミュエル・ウォリスで、1767年のことでした。(*2)ジェームス・クックがカウアイ島のワイメアを訪れたのは、それから10年ほど後のことです。その翌年、フランスのルイ・ブーガンヴィルがタヒチを訪れます。これ以降、タヒチは英仏の植民地戦略に翻弄されはじめるのです。この間、いち早く西欧人の武器と知識を導入したポマレによる諸島の制覇や、宣教師たちよるタヒチアン・ダンスの禁止、あるいはサトウキビ農園への中国をはじめとするアジア人労働者の導入、ハワイのビャクダン交易に相当する塩漬け豚肉の交易による王国収入の確保など、数千キロメートル離れたタヒチでも、ハワイとよく似た歴史が展開されたのでした。血で血を洗う戦いや、伝統と革新を巡るかけひきを経たおよそ100年後の1880年、タヒチ王室はついに消滅してしまいます。奇しくも、それから10年少し後、ハワイ王国最後の女王であったリリ・ウオカラニもまた、王国の消滅を目の当たりにするのでした。

*2: ウォリスは最初にトンガ王国を訪れた西欧人としても知られています。

次回はビショップ博物館が管理するエイミー・グリーンウェル植物園についてお話しする予定です。表紙の画像は、モーレア島のティキ・ビレッジで行われたタヒチアン・ダンスの1シーンです。

※今回の写真はトップページの特集画像を含め、タヒチで取材をされた橘田みどり氏(フラレア編集部)のご好意でお借りしました。

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