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ハワイアンシャツの歴史(2)
近藤純夫
30年代にデューク・カハナモクがデザインしたハワイアンシャツ(オリジナル、コットン)

 ハワイアンシャツの歴史のなかでハワイ風にデザインされた布地というものは1930年代半ばまで存在しませんでした。そこで当時の有名デザイナーであるエルシー・ ダースなどが新しいデザインを担当しました。彼女は手染めのデザインを日本に送り、シルクにプリントした高級品にも挑戦しました。

 エルシーの描いた花柄のプリントは、日本での制作行程で間違った解釈でプリントされたため、柄が幾重にも重なりあってしまうという事故が起きてしまいました。ところが皮肉にもこの図案が評価され、合衆国本土で大ブームとなりました。これが、今日のコラージュ的な手法のさきがけです。

 戦後の1940年代になると、進駐軍は柄の派手な友禅を購入し、これをハワイに持ち込んでシャツを作りました。今日にいたる和柄のハワイアンシャツの原形となったという説もあります。

40年代のハワイアンシャツ。ハワイ在住の米軍兵士に人気があった。カヒリをデザイン化している(オリジナル、レーヨン)

 ハワイアンシャツが大量生産されるようになると、プリント地はほとんどがカリフォルニアなどで生産されるようになります。そして次第に、和柄のものよりはポリネシア風のデザインが多くなりました。エキゾティックなデザインは本土のアメリカ人に評価され、とくにハリウッドの人気俳優が着ることでハワイアンシャツの人気に火が点きました。その結果、ハワイアンシャツは全米各地へと広がっていきました。ほどなく、そのブームは日本にまで及び、40年代当時の東京ではリーゼントヘアーと並んでハワイアンシャツがブームとなりました。

 当初、ハワイにおけるハワイアンシャツはリゾートウエアやスポーツウエアに過ぎませんでしたが、50年代に入るとフォーマルウエアとして認められるようになっていきます。なかでも1951年に『Life』の表紙を飾ったトルーマン大統領のハワイアンシャツ姿はハワイの服飾文化に決定的な影響を与えたと言ってよいでしょう。ハワイアンシャツはこうして名実ともにハワイ州民のユニフォームともいうべき「顔」となっていきました。

 ハリウッド俳優のなかではモンゴメリー・クリフやバート・ランカスター、フランク・シナトラなどがハワイアンシャツを愛し、出演作品のなかで着ることもありました。ジンジャー・ロジャーズやビング・クロスビーといった大物歌手もハワイアンシャツが好きだったと言います。

素材とデザインの変化

50年代のハワイアンシャツ。和柄とポリネシア柄を微妙にアレンジしている。(レプリカ、レーヨン)

 20年代のハワイアンシャツの素材は現在主流のポリエステルではなく、綿やシルク、ロウシルク(※表面の粗い平織りの絹)でした。しかし、綿は発色の点で問題があり、シルクはプリントが難しく高価でした。

 30年代はシルクとコットン生地が主流でした。当時の技術では大量生産に不可欠なデザインを精確に染めることが難しかったのですが、1924年にデュポン社がレーヨンの大量生産工法を確立させ、この問題を解決しました。レーヨンは、木のパルプの繊維素から作られた合成繊維で、塗料がつきやすく、肌触りもシルク以上と言われました。しかも耐久性があり、製造コストが低かったので、レーヨンの将来は希望に満ちていました。

 40年代に入るとレーヨンは素材の主流となります。コレクターの間ではいまもレーヨン素材が注目されています。レーヨンはとても発色が良く、とくに抜染(※地染めした生地の模様部分から抜染剤で地色を抜き、その部分に染料で他の色をつける方法。隣接した色と滲まないだけでなく細い白の縁取りができるため、くっきりと鮮やかにみえる)によるものは現在でも高い人気を誇ります。

 トマス・スティールの『The Hawaiian Shirt』によれば、ハワイアンシャツのごく初期には日本の柄がよく使われていたとあります。そこには鶴や亀、あるいは松といった自然描写ばかりでなく、家紋なども描かれていました。レーヨンの時代になると花鳥風月のデザインはさらに欧米化していきますが、生地の供給元はそれまでのメインランドから日本へと代わっていきました。メインランドは大量ロットでの注文しか受け付けなかったのに対し、日本のメーカーは少量の注文にも応じたからです。

60年代に流行したファスナータイプのハワイアンシャツ(オリジナル、ポリエステル)

 50年代にデュポン社の工場が火災で全焼し、レーヨンの製造工程資料までが焼けてしまい、レーヨンの生産は終了します。それに代わって60年代に登場したのが、丈夫で素材に安定感のあるポリエステルです。その後、今日にいたるまで、一部の高級品にシルクが使われる他は、ほとんどのハワイアンシャツがポリエステルにとって代わりました。70年代から80年代にかけては大量生産から少量多品種の時代に戻り、色や柄といったデザインや染料に対するこだわりが見られるようになりました。

 今日、ハワイにはいくつものハワイアンシャツ工場や販売店があり、広く世界中で販売されています。また、ホノルルにあるビショップ博物館にはハワイアンの服飾史を研究する部門があり、ハワイ大学には専門の講座も用意されています。

ハワイアンシャツとカジュアル・デー

 1947年、ホノルル監督局は、ホノルル市郡の従業員は、暑さの厳しい6月1日から10月31日までは仕事場でスポーツ・シャツの着用を推進すると決めました。世界初となる服装規定におけるこの決断が、その後の官公庁の夏服に大きな影響を及ぼしました。ハワイでは毎週金曜日をアロハ・フライデーと呼び、アロハシャツやアロハドレスを着て行くことができます。

デザイン上の約束事

40年代の製品。日系米兵の先鋭隊として知られる442部隊を意匠化した珍しいハワイアンシャツ。スローガンの「当たって砕けろ!」が印象的。(オリジナル、コットン)

 ハワイアンシャツに使用されるボタンはココナッツ、竹、真珠貝、白蝶貝、茶蝶貝などの自然素材と、ポリエステル樹脂、アクリル樹脂、金属などの人工素材があります。いずれを用いる場合も、基本は「自然な感じにみえるもの」という約束事があります。女性用はこれとは別に、真珠やガラスなど、一般婦人服と同じように、さまざまなバリエーションがあります。

 ポケットは基本的にひとつが主流ですが、両胸についたものや、ポケットレスのものもあります。また、地の柄と連続性を持たせたデザインのポケットもあれば、非連続のもの、あるいはカラーやポケットだけ別のデザインを使用するワンポイントのものもあります。

 パターンにはひとつの柄を背中全体に納めたバックパネル、生地にデザインを横に刷り込んだものを使用したホリゾンタル、縦に刷り込んだものを使用するボーダー、柄に方向性のとくにないオーバーオールなどがあります。タイプとしてはそのほとんどを占める半袖開襟シャツのほかに、長袖、ノースリーブなどがあり、それぞれにプルオーバータイプも用意されています。

All wears are brought by Bailey's Antiques & Aloha Shirts. ©
517 Kapahulu Ave., Honolulu, HI
Phone: 808-734-7628

表紙画像は1940年代に日本製の生地で作られたハワイアンシャツのタグ。次回はハレマウマウの噴火についてお話しする予定です

 

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