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サトウキビ
近藤純夫
サトウキビの花穂
サトウキビの花穂
 サトウキビは砂糖(カンショ)の原料で、世界の熱帯や亜熱帯地域で広く栽培されています。 2005年度の世界のサトウキビ生産量は約11億トンです。小麦は約6億トンですから2倍近い生産量があります。主な生産国はブラジル(4.4億トン)、インド(2.3億トン)、中国(0.8億トン)で、アメリカ合衆国の生産量は多くありません。ハワイの歴史のなかでは大きな位置を占めたサトウキビですが、ハワイ州における生産量は、世界的にはごく一部にすぎません。日本では沖縄が産地として知られます。沖縄では主に黒糖を生産しています。また、四国地方では粗糖と、これを精製した上質の砂糖(和三盆)を精製しています。 

サトウキビの茎部分
サトウキビの茎部分
 サトウキビの茎は竹と同じく木化して節があります。茎の内部は柔らかな繊維質になっていて、竹のように空洞ではありません。成長すると繊維質は多量の糖分を含むようになります。

ハワイ名はコー(Kō)。サトウキビはイネやタケと同じイネ科の植物です。花穂(20〜60cm)をつけた様子は同じイネ科のススキに良く似ています。草丈は3mから5mほどになります。原産地はニューギニアですが、主にインドと中国で作物に適するよう品種改良が施されました。ハワイに導入されたサトウキビの種類は多く、マウイ島のカハヌ・ガーデンには100種類以上のサトウキビが展示栽培されています。
 

畑のサトウキビ
畑のサトウキビ
 アメリカにはコロンブスによって運びこまれたとされます。最初にカナリア諸島から西インド諸島へ運び、18世紀の半ばにルイジアナへの入植者がメインランドで育てた記録が残されています。アフリカから強制的に連れて来られた黒人たちは綿畑やサトウキビ畑での労働力として目をつけられたのです。

 サトウキビは寒さに弱く、熱帯や亜熱帯地域の湿潤な気候で育てられます。水辺に植えられているサトウキビは水分が多く、産業用より甘みが控えめで、現地では子供のおやつになっています。産業用のサトウキビは糖分が多い(茎部分に約15%)ことに加え、固いため生食にはあまり向きません。

 かつてハワイを含むポリネシアの人々は、繊維の多いサトウキビを噛んで歯の掃除をしました。薬用としての効能もあり、関節炎や癌、風邪、咳などの治療にも用いられたようです。サトウキビはハワイの歴史を語る上で欠くことのできない重要な役割を担ってきました。

1910年当時の砂糖工場と日系移民労働者
1910年当時の砂糖工場と日系移民労働者
サトウキビ産業と移民文化

 ハワイにははるか昔にポリネシア諸国からサトウキビが持ちこまれましたが、砂糖産業でに用いられたのは農場主が海外から持ちこんだ農業用のサトウキビです。1835年、アメリカ人のウィリアム・フーパーはホノルルにラッド貿易商社を設立しました。同社はカメハメハ3世からカウアイ島コロア周辺の土地を借り受けてハワイ人労働者を雇い入れ、サトウキビ農園を開墾しました。コーロア(kō loa)には「サトウキビの生い茂る豊かな土地」という意味があり、ポリネシア人が持ちこんだサトウキビが野生化して広がる土地だったためです。

日本人移民による作業風景
日本人移民による作業風景
 その後、1848年にグレート・マヘレと呼ばれる土地の割譲法案が成立します。この法律の背景には、農地を持つ外国人による土地委員会の運動がありました。この結果、1890年には全私有地の75%を白人が所有することになり、その後のサトウキビ産業拡大の下地ともなったのです。

 ハワイ王国にサトウキビ産業が勃興すると、ハワイは決定的な労働力不足に直面します。そこで農場主(企業)はハワイ王国の許可を得て、季節労働者(移民)の導入をはじめました。経営者が最初に雇用したのは地元住民でした。しかし彼らは欧米人のような労働経験がないため、仕事に慣れませんでした。

マウイ島プウ・ネネにある砂糖博物館
マウイ島プウ・ネネにある砂糖博物館
繁栄と衰退

 1850年、王立ハワイ農業協会が設立され、減少しつつある原住民労働者を補うために中国人労働者が導入されました。移民労働者は順調に増えましたが、1880年代に入ると中国移民の人口に占める割合が4分の1にも達したため、ハワイ王国はこれを抑制し、ポルトガルなどの移民を奨励しました。その後、アジアを中心とする、労働賃金の低い国から継続的に労働者を補いましたが、彼らは契約期間を終えると帰国するかホノルルへ移住したので、労働力はつねに不足しました。その後、日本人、朝鮮人、フィリピン人など、民族のバランスを取りつつ、より安い労働力を確保したため、さまざまな国の人々がハワイに移住することになりました。今日の多民族社会の土台はこのときに作られたのです。

 しかし砂糖産業は次第に新興国の低価格攻勢に耐えられなくなり、一時は数百あったハワイ諸島のサトウキビ会社は次々に閉鎖されていきました。

プウ・ネネの砂糖工場
プウ・ネネの砂糖工場
 1892年からカウアイ島でサトウキビ工場を運営してきたゲイ&ロビンソン社は、2009年10月下旬に砂糖工場を閉鎖しました。その結果、1835年にこの島で誕生したサトウキビ産業はついに姿を消しました。現在、ハワイ諸島に残る砂糖会社はマウイ島プウ・ネネにあるアレグザンダー&ボールドウィン社のみとなりました。

 トップページの写真はハワイ島アカカ滝近くに広がるサトウキビ畑跡です。現在、周辺は牧場に姿を変えつつあります。次回は「ハワイ火山国立公園(1)」をお話しします。



フラの花100「フラの花100─ハワイで出会う祈りの植物」(平凡社)
全192ページ 1,890円(税込)


フラにまつわる100のハワイやポリネシア由来の伝統植物・花々を厳選し、それぞれの植物や花々の文化的背景、歴史、伝承などをわかりやすく解説した楽園ハワイの植物ガイドです。

フラやキルト、レイなどはもちろん、ハワイの文化を知りたい人には是非ハワイにお持ちいただきたい一冊です。この本を片手に旅をすれば、きっとハワイがもっと好きになることでしょう。


アロハカワラ版「アロハブック・シェルフ」でも紹介しています
>>> フラの花100─ハワイで出会う祈りの植物

【ハワイの植物】
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